この感覚の違いは何だろう。

 

若いころと今現在と。

この感覚の違いはなんだろう。
安曇野の、とあるちいさな駅で。
ベンチに座って電車を待った。
これから2時間半もかけて、別の病院に移動する。
若いころだったら、そんな無駄は許せなかった。
年とるほどに、時間の流れが速いというから。
こんな無駄はよけい、許せなくなるだろうと想像していた。
でも違う。
無駄に見える昼(寝の時間も。
一生懸命働いている時間も。
彼氏(ま、彼氏がいたら、の話だけど)と逢引きしている時間も。
忘れモノをして、引き返している時間も。
鉢物をひっくり帰して掃除している時間も。
汚れた猫を風呂に入れている時間も。
好きな音楽を聴いている時間も。
大好きなピアノを弾いている時間も。
夫と喧嘩している時間も。
夫となかよく食事している時間も。
全部が同じように。
いとしい。
こんな感覚になったのは、最近である。
効率的に働いたり。
好きな時間だけが大事なのだったり。
そういう気持ちがなくなり、
なんか全部が平等なのだ。
   ☆   ☆   ☆
韮崎のちょっと手前で、特急あずさで横になったら
一瞬寝てしまい。
きづいたら、電車は降りるべき駅をすでに発車していた。
あわてずさわがす、甲府まで行って降りた。
また下りの鈍行電車に乗りかえて、韮崎まで戻った。
こんな無駄、ありえない。
通勤に片道3時間半だなんて。
でも、許せた。

そのおかげでブログが書けなくなったり(これはFBのコピー)

回診がちょっとおざなりになったりすることと、

電車にまったく余計に乗ったりしてしまったこととの間になんら価値の違いはないように思えた。