無心になるということ。

毎日、ブログを書くことが日課。

それが一日の終着点。

平凡な暮らしの一部を取り出すことも。

一日の中で写真を何かしら撮っておくこともそれなりに大変。

けれど、毎日見てるという友人や患者さんの顔を思い浮かべたら。

そんなことは苦労でもなんでもなかった。

ところがフェイスブックの「精神科医小林絢子」と連動していることを知った途端。

書けなくなってしまった。

フェイスブックは元気な方が多く、「感謝」「ありがとう」「優しい」「あたたかい」

という言葉が飛びかっている。

そういう言葉を決して否定するわけではないけれど、私は精神科の医者なので、

人の汚い部分、弱い部分、嫌な部分と日常的におつきあいしている。

そういう部分を堂々と陽の目にさらすことが仕事である。

だからブログでは、自分の弱みも、だらしない部分もさらけだしていた。

夫との喧嘩も書くし、泣くことも書く。

だれにでもおきる普通のことも汚いことも書く。

けれど、精神科医小林絢子の看板をあげたとたん、書きにくくなった。

わたしという人間をまったく知らない人に読んでいただくことに抵抗がある。

わたしがこんなに努力している目的は、有名になることではない。

私自身の居場所をつくること。

私の居場所を、同時に自分の居場所としてやすらいでくれる人の居場所にすること。

たかが一冊の本を出したために、自分を見失うというばかなことはしたくない。

しかし実名を出したばかりに「無心」に書いていたブログが書けなくなるとうことはありえる。

ものすごく大きな壁が立ちはだかっていると思う。

今日の即席夕食料理から湯気があがっている。