自分らしさとは何か・2

友だちの家でピアノのプチ演奏会をした。

サンドイッチやコーヒーや果物を用意してくださり、会話もはずみ。

楽しい時間だった。

やっぱりピアノは続けようと思えた。

☆      ☆      ☆

「自分らしく生きるとは」などと考える時期は、健康な人生でも少なくても2回はあります。

ひとつは自我が芽生える思春期。もうひとつは大切な人の死に直面したり、自分が死を

意識した時です。

ですがそれ以外にも、こころの病に向き合う時、考えざるを得なくなります。

私には一度精神科クリニックを開業した時期があります。平成3年のことです。

そのころはまだ精神科は敷居が高く、「開業なんかして食べていけるの?」と心配して

くれる人もいました。精神科クリニックのハシリの時期でしたので患者さんに来ていただく

のに苦労しました。誰ひとりお見えでない日もありました。

ところがそれから20年たった今、私は毎週数人の初診患者さんを診ています。

この変化は一体何なのでしょう。

精神的疾患(統合失調症とか躁鬱病とか)の発病率は変わりませんから

健康に生まれた方の受診ばかりが増えているということです。

精神科医を40年やっています。すでに5世代に関わっていることになります。

いわば診察室における定点観測ですね。

先日のこと若いころに診た患者さんの子供の子供。の、そのまた子供が子育て最中にこころの

不調をきたして病院に見えました。

その女性が不調になったとき、いち早く病院に予約を入れてきたのは、その方の姑さんでした。

なんて優しい姑さんなの?と感激しました。

一緒にやってきたのは実母でした。そして二回目に妹さん、三回目に夫がついてきました。

4回目は実父でした。全員文句なく理解があって優しい方たちでした。私の感激はだんだん

疑問に変わっていきました。

実父は言います。「自分は母子家庭でお金もなくとても苦労したんです。子供たちにだけは

苦労させたくないと思い、思いきり大事に育てました」

「そんな逆境でもこんなに立派に育ったのですもの。金はなくても立派に育つ。

大丈夫って思わなかったんですか」と私。

「そんなこと思うわけないじゃあないですか。自分がした苦労だけは子供たちにさせたくない、

それが親心でしょう」確信をもって言うお父さん。

わたしは黙りこむしかなかった。でもそれでいいんです。

思春期の課題を親にとりあげられた子は、結婚して他者と生活を共にするとき

自分の思い通りにならず悩んだりいとも簡単に破たんします。たまたまやさしく軟弱な配偶者に

恵まれたときには、生まれた子供が自分の思い通りに行動してくれないといって悩み、

破たんします。

おとなしく従順な子に恵まれたときには・・・・・・また次ぎのいつか・・・・

ああ、私ってなんていじわるな人なのでしょう。でも私のせいなんかではありません。

人生はどこかで、あるいは世代を越えて悩みや挫折を経験しないで成長することなど

ないようにできているだけですから。

「自分とは何か」「自分らしく生きるとは何か」を考えること。

それを考えるのは若ければ若いほどいい。しかしいくつであっても決しておそくありません。

人間はかならず「死」に直面するのですから。また老いぼれてしまった自分にはすでに

役だたずとも、つぎの世代にかならず結実するのですから。

たとえ子供がいなくても、あなたの生き方を見ている甥や姪や隣人がいて。

そういう若い人を通じてあなたは永遠に生き続けて行くのですよ。

それが5世代を定点観測してきた私の率直な感想です。

ちょっとつきはなして見守る

そのとき相手は成長する