自分らしく生きる 8  男性と女性

男の理屈、男の感性と女の理屈、女の感性はまったく違います。地球人と火星人ほどの

違いです。たまにきわめて女性的な男性を別にして。

それを知ったのはうんと若い時でした。精神科医になってまもなく、50人ばかりの女子患者

病棟をひとりで受けもちました。毎日が戦場でした。訴えが多く、よくしゃべり、感情的になって

葡萄の皮や水をぶられました。診察は毎日夜おそくまでかかりました。

その数年後、今度は50人も男子患者病棟を受けもちました。診察はきわめて短時間で

終わります。50人があっという間でした。男性患者というのは必要最小限しかしゃべらない

からです。殺されそうなこと、殺されていたとしても不思議でないことが一度づつありましたが、

日常的に水をぶっかけられるようなことはありませんでした。何事も「集団」になると、

その特徴がよくあらわれるのです。

同じころです。「ひまわり」というイタリア映画を見に行きました。でも私には小さな子供がいたので、

映画の途中で帰りました。翌日です。昨年亡くなったこのブログにも書いた留美子さんが

ケースワーカーをしていました。「映画、あれからどうなった?」と電話をしました。彼女はまるで

映画を目の前にして話しているかのように微にいり細にいりあらすじを話してくれました。

2時間近く話したのを思い出します。だから「ひまわり」という映画を私は半分しか見ていないのに、

最後の最後まで情景が浮かんでくるのです。

ところが、同じ日に一緒に見に行った男性の精神科医に「どうだった?」と聞いてみました。

その時の答えは、腰を抜かしてしまうに十分でした。

「どうだったって。うーん。ロシアの姉ちゃんがきれいだったな」たったそれだけだったのです。

その精神科医がたいした人でなかったら驚ろかなかったでしょう。とても優秀で私に治療の

なんたるかの基本を教えてくれたもっとも影響を受けた医師だったのです。

今でも活躍していますし、すばらしい本も何冊か書いています。その彼にして、その感想だった

ことは私にとって忘れられない出来事でした。かくして医師になって数年で、男性と女性というのが

本来は合い入れない何かがあることに思いいたったのです。

その経験は、結婚した相手に応用されました。離婚になったくらいでしたから最初から悲惨な

結婚生活ではありました。が、かなり私は鷹揚だったと思います。男性と女性は100%は わかりあえない

何かがあることを知っていたので、相手に期待し過ぎることがなかったのです。とても楽に相手を

見ることができたと思います。けれども鷹揚すぎて相手を甘やかしてしまったり、優しくなりすぎたり

する傾向がありました。

この経験は、後に思春期の患者さんを診るときにも役に立ちました。

20年くらい前から、母親たちがとても変わり始めました。本を読んだり講演を聞きに行くのは

みな女性ばかりです。女性は変わろうとするのです。

しかしいったん、問題が「お父さんらしい」というとき、大変です。お父さんという名の男性が問題となるとき、

なかなか病院にも来てくださいません。

来ていただくことにまず、一策講じないとだめなのです。いらしてからも

のっけから、娘さんや息子さんの治療の話題に入ってはいけません。お父さんを立て、いかに

お父さんががんばって家を守ってきたかについて聞きだし、お父さんのプライドのありかや弱みを

しっかりわかり、私がお父さんを叱るために来ていただいたのでは決してない、ということをわかって

もらってからでないと、こちらの言うことを聞いてくださらないことが多いのです。

男性は自分の弱みをさらけ出すことにとても臆病です。

あら、なぜこんな話になったかしら。

お父さんを治療に巻き込むことでは天下一品と言われている私が、夫ひとり

手に負えないのです。たぶん、甘えの構造がからんでいるからですね。

それに、夫婦って同じ船に乗ってる同士だから、降りるわけにもいかない。

みなさん、そんな経験ないですか。ない方はおしあわせですね。

先日の「実験」で私が折れたことで、一応の穏やかな暮らしを保ってはいます。

夫婦って離婚寸前でも、表面的には穏やかな暮らしが続けられる動物であるようですよ。

たくさんの例を見ていますから。。。

けれど、友人のほうから言わせると「あなたは二重に裏切ったことになるわ」

たしかに、夫を裏切って友人と隠れてつきあうなどということは、友人としてもちゃんと夫と談判

していないという点で許せない、二重の裏切りです。

亭主が黒といったら白いものでも黒という女性たちは、いったい外の世界とどう折り合って

いるのでしょうね。二兎を追って一兎も得ていないのかもしれない・・・・・・・

ところで夫はむづかしい面があって、私の手に負えるような人じゃない。

夫は親類縁者から「屁理屈を正当化する達人」と言われています。

今も自分のことは棚にあげ、「ぼくのせいで友達を失った、失ったと大騒ぎするけど、本当に友達

だったら失わないでしょう。よく友達を失うっていうけどぼくから言わせたら最初から友達なんか

じゃなかったから失ったように見えるだけだよ。君たちだったら大丈夫だよ」

でも友人はそう簡単には許してくれません。感情と理屈は別です。友情には誠実さ、優しさ、

許しも必要です。また時間も必要だと思う。

みんな「ともだち、ともだち」って気軽に言ってるけど、真の友人なんか持ってる人、数えるほども

いないのじゃああにでしょうか。主婦同士の方の友情も、いい加減なものだと思います。

表面では〇〇でも影では△△ってことなども日常茶飯事にあるのではないでしょうか。

それでもなお、ブログつながりの友人から「あなたたちそれでも大人?まさか女学生?」って

言われてます。すみません、女学生気分が抜けなくて。だから書けるんですけどね。

あえて文章にする努力だけは認めてよと言いました。

男性と女性の感性がこれほどまでに違うから、まやかしでも表面的でもいいから女性には

女性の友人が必要になってくるんでしょうね。

本当に賢くて、正直で、誠実であろうとしたら、友人なんかいない、出来ないというような

ことかもしれないと思えてきます。

しょせんつきつめたら、夫婦も友人もラッキョウの皮をむくようなものでしょう。

向きすぎたらなんにも残っていなかった。

適当なところで、むくのをやめる、ということも時には必要なことのように思います。

というわけで、これからも夫婦関係、友人関係については大きな課題として

私の胸に残り続けることでしょう。

たくさんの友人、知人の方、つたない文章を読んでくださってありがとうございます。