自分らしく生きる 9 自己と自我・夫婦の戦い

以前に出した「わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本」で評判の良かった

項目のひとつが「子供が敏感に反応する夫婦仲」の項です。

引用します。

家庭はやすらぎの場であると同時に、家族ひとりひとりの戦いの場でもあると

いう私の意見に、友人から「心にスッと入って納得できる」と言ってもらったこと

があります。話すうちに「問題はその戦い方のむずかしさであるだろうね」という

ところに落ち着きました。子供というのは両親の関係に敏感です。

(中略)

人間関係で一番むづかしいのは、自己を主張しながらも、同時に相手と

うまくやっていくことです。家庭にあっても会社にいても、黙っているだけ、

我慢するだけだったら誰でもできる。しかし自分の考えをちゃんと主張しながら、

相手と和していくこと。これが人間にとっての最大の試練でしょう。家庭にあっては

会社にいるときよりむづかしいことは言うまでもありません。(以上引用)

家庭とは一種の戦場だ。田辺聖子が「夫婦は一個しかない椅子をふたりで

とりあいっこするようなものだ」と書いていたが、しばしばその言葉を思いだし

ます。夫婦に関しては先に座ったほうが勝つのです。

ところで家庭が戦いの場でもあるのは、自我という観点から見たら当然です。

戦いがおきないのは、9歳以前の母子関係だけ。子供も9歳くらいまではお母さん

が大好き。どんな人格的に欠落しているお母さんであれ、母親だというだけ

で大好きです。しかしそれ以降になると「自己」「自我」というものが出てきます。

親と同じ考えだったら気味悪い。夫婦となったらなおさらのこと。

まったく「自己」「自我」の違うふたりが同じ屋根に下に暮らしたら、考えが違う。

感じ方が違う。価値観が違う。好みのライフスタイルが違う。葛藤がおきる。

戦いが起きる。

「わが家には葛藤も戦いもありません」という人がいます。そんな場合は、そう思って

いる人の周囲の誰かが、我慢していることが多いのです。あきらめていること

もあります。誰かを我慢させることなくて、あきらめさせることなくて、人が自分の

思いのままに生きていくことは土台無理なのです。それが人間関係の宿命です。

猫や犬なら何匹飼っていようとも大丈夫。「自己」も「自我」もないから気楽なもの。

だから人は猫や犬を飼いたがるのですね。

「自己」とか「自我」が全員がとても弱い、あるいはみんなが鈍感という場合も、

戦いは少ないと思われます。

おしなべて、家族全員が鈍感だったら、問題も葛藤もおこりません。鈍感な

子供たちの間に、ひとりだけ敏感な子供が生まれるから、苦しむことになります。

成績の良い子供たちの中にひとり成績の悪い子が混ざるから親がやきもきします。

全員の成績が悪かったら親もあきらめがつくというものでしょう。

本当に、家族間の精神力動というのはおもしろいものです。

私は患者さんの家族にもお会いすることが多いのは、そんな理由からです。

さて、わが家の話です。きわめて鈍感で働き者でまじめで優等生タイプの私と

きわめてナイーブで、神経質で、偏屈で、怠け者である夫の間の葛藤は、

友人を巻き込んだために、収拾に丸一週間もかかりました。

全員それだけエネルギーを持っていたということでしょうか。

とても疲れました。

でもA子さんから言われた「両者を裏切っている」という言葉が背中を押してくれました。

「大切な人を裏切る行為」というのは、どうも私自身が「自分らしくない」と感じる行為の

ようでありました。

「今度ふたたび私の生きる道に通せんぼするのなら、私は出ていきます。

ちいさなアパートを借ります。この立派なおうちはすべてあなたにさしあげます。

ビタ一文いりません。管理費用は私が払います。猫は二匹とも連れていきます。

よろしいですか」

「わかりました。そうなるとぼくはこの家で餓死することになりますね」

「どうぞご自由におやりください」

わたしにとっての「自分らし生き方」それは、自分が大切にしている生き方を

守ること。物にはまったく拘泥しないことが私流だ。金沢から大阪に出、

大阪から信州にきた。たくさんの物を失い捨てた。今またたとえすべてをかけて

建てたこの家にさえ、こだわりはない。本当に男の人より男らしい自分が好き。

仲良しの精神科医が、私が泣きながら電話したせいもあるだろうけど「あなたは

学習性無力症だよ」と診断しました。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

診療所の女性医師からは「全員がボーダーラインじゃあないの」と言われました。

医者って診断をつけるのが好きですね。

看護師さんが「ボーダーラインってなんですか」というので

「そうねえ。チャーミングでエネルギッシュだけど、ちょっと心に空虚感をだかえて

いるために、わざとじゃないけどまわりをふりまわす人のことよ。特に私の夫などは

ひょっとしたらそうかもしれないわ」と答えました。

「先生のご主人はたしかに調子の良いときはとても魅力的な人ですもんね」

私「そうね、あなた方のご主人は扱いやすい人たちで本当に良かったわね。

普通は年齢に従って角がとれ、のっぺりしてしまっておじさんやおばさんになって

いくの。それでいいのよ。だから扱いやすいけど魅力もなくなってしまう。

ボーダーの人は扱いにくいけど、角がちゃんと若いときのままあるから、おもしろいの。

悪く言えば子供っぽい、よく言えば角がとれてなくて魅力あるってことになるわね」

と自分に都合の良いように説明しました。

「うちの主人、扱いやすいです。でもチャーミングかというとギモン!」とか言いながら

看護師さんは目を丸くして聞いてくれます。

私は自己主張が下手で、女性にきわめて多い「黙りこむ」タイプです。でも

今回はだいぶがんばりました。「自分らしく生きる」とは私にとって

自分の気持ちに正直に生きることです。

そのためにはまず、自分の気持ちを見つめる訓練が必要です。「自分に正直に」

などという言葉もまたありふれた言葉ですが、どれが正直な気持ちなのかは、

やはり訓練しないと自分にとってもわからないことが多いのです。自分を見つめると

いう行為ことほど左様にむづかしいのです。そしてそういうことさえ案外世間では

知られていないという現実があります。

こんなにありのままを書かせてくれた夫やA子さんに感謝します。

自分の弱みをさらけ出すことができるのは、真の意味で強い人でなくては

できないことです。

また丸い中に角があってチャーミングな夫やA子さんとは比べものにならないほど、

全体が角ばかりの扱いにくい私を、ブログに何を書かれても無頓着なまま、

おおらかに見守ってくれる夫が一番、器が大きいのかもしれない、ということにしておきましょう。

こういうのを本当の意味で「夫を立てる」と言うのよ、ということにしておきましょう。

(追記)

話は、人格を傷つけないように多少修飾してあります。また、すべては夫なりの

理由あっての言動であり、「自己」と「自我」にもとずく夫婦の戦い、という話を

わかりやすく書くために夫やA子さんに登場していただいたのであります。

決して詳しく詮索したり、悪く思わないでいただきますようにお願いします。

A子さん、などと書いていますが、実はちゃきちゃきの、うんと年下の素敵な男性

だったりしてね。だから夫がこだわったのだったりしてね。

かもよ!(それは永遠のヒミツということで) この話はおしまい。