自分らしく生きる 11 娘になってほしい職業

高いところから飛び降りて、腰を複雑骨折した女子高校性が入院してきました。

腰の手術がすみ、一応車椅子で動けるようになったので、精神科医としての

診察をおこないました。もともと精神の病気を持ちあわせている女性ではなか

ったので、突然の出来事でした。

末の弟を産んだころからお母さんが病気がちになり、ご両親も不仲、父方の

祖父母を含めて、家族関係が長年もめていると言います。

彼女はその争いに直接巻きこまれてはいないのだけれど、最近になって特に

家にいてもくつろげなくなったようです。その上、高校三年生ともなれば進学や

就職で学校の中自体も緊迫した空気が流れます。そんな中にあって、

あるクラスメートとのゆき違いから悲観的になってしまい、発作的に

飛び降りてしまったと言います。

しっかりした話しぶり。自分のとってしまった行動に対しても、反省しています。

根底に深い精神的な疾患があるかどうかは今のところわかりません。

けれど何回かの治療のあと、順調に回復し、学校にも行けるようになりました。

成績も悪いわけではなく、とても優しいお嬢さんです。

でも気がかりなことがひとつありました。それは東京の看護大学校に進学が

決まっていることです。病弱なお母さんを幼いころから見てきたので、身近に

看護師さんがいたのです。自分も人の役にたてる仕事がいいと思うようになった

といいます。衝動的に自殺をはかったことがあるような子は、看護師に向いて

いないというつもりはありません。けれど、繊細すぎるような子には辛い仕事

であると言えます。

最近見た新聞の統計によると、親が娘になってほしい職業のナンバー ワンは

公務員、二番目が看護師とありました。親とは実に勝手なもので、娘の性格や

実態をあまり見ていません。単に世相に影響されて子供の将来を考えていると

いうことがよくわかる統計です。不況のさ中、確実性を求める親心でしょう。

私の若かったころには、能力のある女性でも家庭に入ることを勧めるのが普通

の親でした。それが女性のしあわせと言われました。最近は能力に関係なく

「女性も手に職を」「女性も安定した職を」と一様に願うのが親心のようです。

親が子供のしあわせを願うのはあたり前でしょうと言われます。でも違います。

間違っています。

わが子をもっと見てください。世相に影響され、世間に影響された上で、それを娘に

あてはめているだけだなんて、貧しくありませんか。それが本当に親の愛情ですか。

看護学生を毎年何人も診察します。この女性には看護師という仕事が合わないから、

適応障害をおこしているのではないか、と推察しても、看護師を選ぶようなタイプの

人は「合わない」ことを認めることができないのです。だから理想と現実のはざまで

苦しみます。

公務員もまた安定した職業ナンバーワンです。しかし福祉関係から土木関係、

土木関係から税務関係という風に何年かに一度、まったく違う部署に配属される

ような仕組みであることが多いのです。ですから勉強ができて、まじめだけど、

いろんな環境に適応する力が弱い人にとっては強いストレスになります。

割合、心の病気になる人が多いのです。けれど適正より安定を求めるのでしょうか。

学校の先生も、心の病気になりやすい職業のひとつです。子供に気を使い、

親に気を使い、転勤があって環境が変わり、という具合に大変な仕事なのでしょう。

人間のやることですから、挫折も失敗もあり、だと私は思います。しかし失敗や

方向転換が許されない家庭環境にあると、子供たちは苦しみます。親のほうは

「もう無理しないでいい」と言っているのに、子供のほうは幼いころから親の価値観を

烙印されているものだから、価値観の方向転換ができなくなっているということもあります。

「女性でも男性と同じように職業を」というのは決して悪い風潮ではありません。

けれどお菓子つくりのとても好きな女の子に「パティシエがいいね」というのは

飛躍しすぎだと思います。一緒にお菓子づくりをしながら見守る。それくらいがちょうど

です。

私にも同じ経験があります。私の娘はとても人の気持ちをおしはかる子どもでした。

人間関係を冷静に観察して判断する傾向がありました。中学一年のときでした。

「あなたは臨床心理士になったらいいね。合っているかもしれないね」と言った、

らしいです。

実際は言ったかどうか覚えていないのだけれど、その2年後、不登校とうつ病になって

苦しむ娘から「お母さんから臨床心理士になれと言われて苦しい思いをした」と

言っていると担任の先生から聞いて、びっくりしました。その後、ロールシャッハテストを

やってみて二度びっくり。娘には人間反応がほとんど出なかったのでした。

天井のシミが全部、人間の顔に見えるというほど、人間に関心のある私の

「お母さんそっくりね」と言われる娘にしてそうなのです。誰が想像できたでしょう。

似たように見える母と子でも、タイプがこんなにも違うんだと、心底驚いた覚えがあります。

娘は親としては考えもつかなかったデザインの学校に進みました。それもアメリカの。

外国嫌いの両親の娘が、外国でないと暮している気がしない、というほどの

外国好きなのです。

それほど、人間というのはみんな違うのです。

親の役目、それは男の子にも女の子にもまず生活の基本を教える。そのつぎが

勉強の機会を与えてあげる。そしてその子の気質をじっくり時間をかけて見てあげる。

ここまでだと思います。

早く早くと押しつけたために、急いだがためにとり返しのつかない事態に発展すること

も多いのです。

まずは、大人自身が「自分のこころを見つめる」習慣「自分らしさとは何かを考える」習慣。

その延長線上にこそ「わが子のその子らしさ」を生かす生き方の模索という考え方が

成り立つことだけは知っていてほしいと思います。