自分らしく生きる29 自分や病と「向き合う」とは何か・3

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「こころの病と向き合うために」という講演を一時期、続けさまにやったことがあります。

その時に「向き合う」とは、一体なにと向き合うのだろうと考え続けました。私の答えは

「気持ち」でした。その大元は「自分の気持ち」でした。

夫と向き合いましょう、子供ときちんと向き合いましょう。よく言われることです。だけど、

時間をとって対面して相手の顔を真剣に見て話しあうことが「向き合う」ことでしょうか。

「わたしたちの夫婦関係、最近どうかしら」と持ちかけてみることが「きちんと向き合う」こと

でしょうか。そうではないと思うのです。

子どもが「学校に行きたくない」などと突然言い出したら母親なら誰でもびっくりします。

子供と向き合わなくてはと思い、どうしたの?何かあったの?と真剣に聞いてあげる気持ちに

なるものです。しかし、たいていは子供の気持ちをわかってあげる前に「行かなかったらいかに

困ることになるか」についてお説教を始めたり、あるいは「行きたくなかったら無理しないでいいのよ」と

子供の気持ちをわかってあげる前に自分の安心のために、結論を出したりしがちです。

それは、どれだけ子供との時間をとった

としても、子供の目を真剣に見て話しかけたとしても「向き合う」ことにはなってないと私は考えます。

何かと「向き合う」とは、その相手の気持ちのありかをさぐること。それをありのままでわかって

あげようとすること。そして同時に、相手の気持ちをわかった時に、自分の中に生起してくる「気持ち」

をもまた、ありのままに認めることです。相手の気持ちをわかればわかるほど、自分の期待や

自分の気持ちと相反するということはしばしばあります。相手をわかればわかるほど、

気持ちのおさまりがつかなくなる「自分の気持ち」。それをもありのままに認め、受け入れることは並大抵

ではないことが多いのです。ですから、何かと「向き合う」ことは何年に一回か二回くらいにして

もらわないと身が持ちません。

例をあげてみましょう。50歳男性患者さんの若い奥さんが主人公です。

うつ病がほとんど良くなったあとも、薬の維持療法のために通院している、50才になる患者さんが

リストラに合いました。

リストラ後についた仕事で、つぎつぎと「合わない」と言ってやめてしまい、家でぶらぶらすることが

多くなりました。奥さんはまだ若く、幼い子供が2人います。さいわいご主人の親と同居しています。

また奥さんも若くてばりばりと働いていますので、生活にすごく困るというわけではありません。

夫がうつ病だった時は、とてもこころの支えになってくれた奥さんでした。

しかし今回、まだ50歳だというのに、子供が小さいというのに、うつ病はなおっているというのに、

職安に行くこともなく家でぶらぶらしている患者さんを見ることは、奥さんにとって耐えがたい

ことのようでした。夫がどんな気もちでいるのかもわからず、ただただ怠けているようにしか

見えません。奥さん自身は働くことが好きです。

しかし、夫の無気力な様子を見ていると、どうも納得できない、おもしろくない、ついつい尻を

たたいてしまい、余計夫の気持ちを萎えさせてしまうようでした。

このケースの場合、患者さんはご主人のほうです。ご主人が仕事に対する不安感をつのらせ、

奥さんに悪いと思いながらもなかなか一歩が踏みだせないでいる気持ちは、私にはよくわかり

ます。だから治療はそこまででいいのです。しかし、奥さんがあまりにいらいらしておられると

いうので、奥さんにも来ていただくことにしました。

診察費用をいだたいているのは、ご主人のほうだけです。だから時間もかぎられています。

しかしこんなときこそ、「夫と向き合う」という行為をしなければいけないのは奥さんのほうです。

夫の気持ちを聞くのは、夫自身から聞くのが一番です。がこの時には私から説明しました。

そして、夫の態度や気持ちを目の前にしていらいらしている奥さん自身に問題をふり向けて

みました。一人っ子で婚期の遅れたご主人に嫁いでくれた若い奥さんは、今まで家族から大切に

されていました。また両親とずっと同居を続けているご主人には「男の責任で一家を守っていく。

家の屋台骨を支えていく」という自覚が欠けていました。優しくて甘えん坊なご主人です。

しかしそんな甘えん坊で優しいご主人だからこそ、惚れたのではなかったでしょうか。都合の良いときも、

いっぱいあったのではないでしょうか。家事全般を夫の母にまかせ、保育園の送り迎えを夫の父に

お願いし、夫婦でパラサイトしていたような状況で、夫だけが「無職になってたよりなくなった」

というだけで夫だけを責めるのもどうかと私には思われました。

私はそのことを率直にふたりに話し、奥さん自身にも、自分を見つめなおさなければいけない状況に

あることを告げました。

親と同居することを嫌う若い夫婦が多い中で、両親と仲良く世帯を持っている奥さんは、今どき

めずらしい方だと言えるでしょう。しかし、物事は一方的に見ると立派なことでも、別の方向から

見ると見え方が違うということはよくあることです。

「向き合う」ということは、この方の場合、夫の「気持ち」にまず寄り添うこと。その上でおきて

くる自分のいらいら感やおもしろくないという「気持ち」を今までの「誰かにたよって暮らしていた」

人生の延長線上のものとしてありのまま受けとめること。その上でしか、解決方法や奥さん自身の

気持ちがストンと納得できる方向にはいかないでしょう。

そのつぎには患者さんだけが見えました。「どうなりましたか」と問う私に、患者さんは「妻は

何かわかってきたこともあると言っていました。でもきつい先生だという印象も持ったようでした」

と話しました。ぶらぶらいている患者さんを擁護し、一生けん命働いている奥さんに向かって

「自分を見つめてみなさい」と言ったのですから、当然の反応かもしれません。

でも患者さんはご主人のほうですし、何かアドバイスをほしいと言ってやってこられたのは奥さん

のほうですから、「大変ですね」というだけじゃあ、お互いに時間がもったいないでしょう。

少しでも自分をふりかえってみるヒントになっていればいいなと思います。たいていは、一回の

話しあいでは無理ですがね。けれど、自分を見つめる習慣のある方に出会うと目を

輝かせて「やっぱりそうなんですね、すごくわかる気がします」とおっしゃってくださる方が

たまにおられます。

「向き合う」「自分を見つめる」という行為は、知能ではなく、知恵がいります。

いったん「自分と向き合う」習慣をつけると、とても強くしなやかになれます。

心の病にならないばかりか、魅力的にもなっていく方が多いように思います。