「心の病と向き合うために」下書き・2

講演で大事なことは、何を伝えたいかであると言われます。たくさんのことを

伝える必要は ない。ひとつ、ふたつでいいから伝えたいこと。

 情熱的に伝えたいことがあると、知識だけを伝えるときより、はるかに講演は

成功です。 わたしが伝えたいことは、だいたい決まっています。

 それは、こころの問題を「自我」という側面からかみくだいて説明し、誰もが今日から

 自分の問題として考えられるように。

子育てや自分の精神衛生を考えるとき、今すぐからでも応用できるように。

 わかりやすく具体的に伝えたい。 ただそれだけなのです。       

 ♥      ♥     ♥

「自我」という考えはむづかしく聞こえるかもしれませんが、精神医学というのは、

実は むずかしい心の問題を「自我」という考えをもってくることによって、

いとも簡単に乗り越えられる ようにした唯一の学問なのです。 他の学問でも「自我」と

いう概念は使いますが、精神医学では、その概念を使うことで

「こころが病むとはどういう状態なのか」

「治療するとはどういうことなのか」などの 大切なことをわかりやすく説明します。         

 ♥    ♥   ♥

精神医学では「自分」というものをとても大切に扱っているという点では、他の医療や

 学問から飛びぬけています。 もうちょっと詳しく説明します。

精神医学では、自分というものを「自己」と「自我」のふたつに 分けて考えることをします。

 「自己」とは行為している自分のこと、「自我」とは行為している自分を見ている、

 もうひとりの自分、です。 今のみなさんの「自己」は「この拙文を読んでいる」ということですね。

しかし、読んでいる みなさんの「自我」は、それぞれ別々。

今のみなさんの「自己」は「この拙文を読んでいる」ということですね。

しかし、読んでいるみなさんの「自我」は、それぞれ別々。

「この読み物、退屈だなあと思っている自分がいるわ」

という人もいる。

「なんだかわくわくする自分がいるわ」という人もいるかもしれません。

かならず、意識する、しないにかかわらず、行為している自分と、それを見ている、

もうひとりの自分がいるはずです。

パソコンの前でちょっと目をつむっていただきましょうか。

みなさんの行為は同じでも、頭の中を駆け巡る思いは千差万別のはずです。

そして、その自己と自我の関係こそが心の本質だと、精神医学では言っているのです。

         ♥     ♥    ♥

伝えたいことは決まっているのだけれど、ここでひとつ大きな問題が横たわっています。

寺澤芳男氏も書いているように、「自分が言いたいことより、相手が聞きたいことを話す」

それが大事だと言われると、講演というものはなんとむづかしいものだと思います。

気持ちが重くなって正直者のわたしが「ぜったいやりたくないもののひとつ」に数える気持ちが

わかっていただけるでしょう。

寺澤氏は言います。

相手の頭に何を残すか。

自分が言いたいことより、相手が聞きたいことを話す。

自分の「口」からどんな言葉を話すかではなく、相手の「頭の中に何を残すか」が大事であると。

この考えがまったく正しいと思える証拠はあります。

今までやってきたたくさんの講演でも聞いている人の目の輝き、そしてうなずきの数、

笑いの数を見ると、相手が聞きたいことを話しているかどうかが一目瞭然。

そしてそれは、売れる本の数に如実にあらわれてきます。

ワークショップをやったことのない私ですが、相手との共同作業が少しでもあると

一方的にやるよりは修正もきくぶん、やりやすい面もあるかもしれない。

でも、一方的におこなう講演の場合、しらけ始めると止める手立てなし。

だんだん会場がしらけていく様を見るのは耐えられません。

パワーポイントを使えばいいでしょうとか。

たまに手をあげてもらって、会場の思いをすくいだしてみればいいでしょうという

考えもあります。

でも私はそれはやりたくないのです。

パワーポイントなんて、ぜったい使いたくありません。

やはり、情熱と知恵を使って、わかりやすい生きた言葉を使って伝えることに

意義ありと思うものですから(わたしにとっての修行という意味で、です)

          ♥    ♥   ♥

今回は精神障害者の作業所が主催して、広く市民も参加できるようにしているちいさな

講演です。

主催者からの注文がひとつ。それは障害者を受けいれる社会になるような助言のある

内容を少しでも入れてほしい、というものです。

障害者の、もう若くはない家族だったり、市民といっても誰か家族に障害の方をかかえて

いるために多少こころの問題に関心のある人たちではないかと思っています。

また、民生委員の方など、身近にお世話しているために知識を増やしたい方もいると思います。

相当わかりやすく、具体的に話さないとだめでしょうね。

困っています。

          ♥     ♥    ♥

自己紹介のあと、一番先に話す言葉を何にしよう。

今日は一日中、暇さえあれば考えているのですが、いい考えが出てきません。

パソコンで打ち始めると考えが浮かんでくるという私のパターンなので、期待しているのですが・・・・

ちょっとお茶でも飲んでこよう。

            (休憩)

さて、本番です、チョン!

          ♥    ♥   ♥

今日の講演の題名である「心の病と向き合うために」というタイトルは、なかなか良い

タイトルを見つけられなかったために、適当につけたものです。

しかしこのタイトルを見てやってきてくださったみなさんは、こころの問題を抱えている人と

まったく無縁ではないために、何かヒントが得られるかもしれないという淡い期待を

抱いて来てくださった方ばかりだと思います。

私は精神科の診察オンリーで40年を過ぎましたので、何万人という患者さんを診てきました。

それだけの実績がある私なら、何か特効薬を持っているかというと、それはまったくない、

と言っても言い過ぎではないくらいにこころの問題はむづかしいものです。

実は今日の主催者と関係のある赤十字病院をこの4月でやめました。

なぜやめたかといいますと、新しい先生が赴任されたからです。その先生とは面識がありません。

だけど、精神科医になって6年だという心意気に燃えたその若い男の先生と、年季40年を越えた

ちょっぴりくたびれた私を比べてみると、精神科というのは不思議なもので、

その若い先生のほうがよく治せる場合のほうが多いのじゃないかと思えて、

あっさり身を引いたのです。

笑わないでくださいね。

私にも若くて情熱的で、ほっとけないように感じられるかわいいときがありました。

古い先生では治らなかった患者さんを若い私が主治医になったことによって流れが変わり、

治らないと思った患者さんが治ったことがよくあります。

またこんなこともあります。重い精神病の方が優しいご両親のもとで手厚く看病されていました。

ご両親が亡くなったらどうなるだろう。誰もが心配するところでした。

ところがお父さんが亡くなり、優しく面倒見の良いお母さんが亡くなりました。

患者さんは悪くなるどころか、次第に良くなっていきました。

そんな例は枚挙にいとまがありません。

こんな話をいたしますと「若い先生のほうが情熱があっていいのかなあ」とか

「親がいなくなると頼る人がいなくなって甘え心がとれるせいかしら」くらいのことは

素人の方でも想像がつくと思います。

そうですね。当たらずとも遠からずではあります。

まず、結論を先に話してしまいましょう。

心の治療というのは、子育てにとてもよく似ていること。そのことを話したいと思います。

若いお母さんのほうが無我夢中で育てるので、うまくいくことってあるでしょう。

また子育ての目標は「自立」ですから、親が亡くなったとたん良くなることも

あり得ることですよね。

「子育て」も「こころの病気の治療」も、心を育てるという意味でまったく同じです。

まず、そのことについて話します。

「心の病気の治療」などという難題が、子育てと同じだとわかれば

またそれぞれの方に新しい視点や方策も生まれるかもしれませんね。

そしてつぎに「じゃあ、こころを育てるとは何か」についてもっとくわしく話したいのですが。

時間がかぎられます。

今日持参しました、今週できたばかりのほやほやの本は、私がこころを育てる治療の中で

ふだん患者さんに話している具体的な言葉が書いています。

わたしという医者はとても年季がはいっているらしいということ。

またどんなときでも治療を投げだすことなく誠実に患者さんを支えてきたらしい

という証拠は、この本以外には、何もありません。

カルテは密室に保管されています。

また患者さんはなおってしまうと医者を忘れます。それでいいのです。

今日はそのいくつかを抜粋してお話しするにとどめます。

関心のある方は、あとでその証拠の品を手にとってみてください。

八ケ岳近辺の美しい写真も入っていますのでながめていただけるとうれしいです。

         ♥    ♥   ♥

ああ、くるし~いっ!