「アフタークリニック」への夢をふたたびーNo.1

「アフタークリニック」とは何だろう。
これは私の「相棒」の造語だ。

わたしの精神科医歴は長い。

私立の大きな精神病院。県立の大きな精神病院を経て、開業した。
開業は正直、大変だった。
男性には助けてくれる「妻」のいることが多い。
雑用やナースへの対応など、こまごましたことを夫婦で協力している。
私の場合、クリニックの診療と経営や人事のすべて。
それに子育てや家事が加わる。

ある日の夜。
仕事を終えて、スーパーに寄った。
ぼろ雑巾のように疲れていて、駐車場を見まわすゆとりさえなかった。
一番近くの障碍者マークの駐車スペースに車を入れた。

その時。
突然、近くの止まっていた車から男の人が顔を出して。

「バッカヤロー。てめえ、障碍者かあ」と叫ばれた。

ものすごく怖かった。
びっくりしてそのまま車を移動した私は・・・・・
駐車場のはしっこに車を止めて泣いた。
患者さんに負けず劣らずこころが弱っていた。

「障碍者の方より、わたしのほうが疲れているのに」

つくづくそう思った。

精神科のクリニックが流行りだす前だったので、最初の経営は大変だったが。
時をおかずして、患者さんであふれるようになった。

しかし、患者さんを診ることも大変だけど、スタッフに対する心遣い。
これがまた気を遣いすぎる私にとってストレスとなり、クリニックを大きくすることは
私には合わないと思うようになった。

わたしは金沢のクリニックを友人に譲った。

後半の人生をどこで送るか考えたとき、老親のいる滋賀に近い大阪を選んだ。
大阪に再び、ちいさなクリニックをつくった。
場所は大阪のド真ん中だったが。
ナースをおかず、受付の女性とふたり。たった10坪のちいさなクリニック。

医師が開業することさえ多くはないのに、生涯で2回も開業した医師なんて
いないだろうな。

大阪のクリニック開業は12年前平成10年の秋だった。

そのとき、ある試みを始めた。