中学二年生・講演から・その2

講演の準備。
中学二年生が、飽きずに聞いてくれるかなあ。
自信ないな。
わかりやすく話すって大変。

さて、生まれてから年老いていくまでの間の、こころの成長、ということ
についてお話ししようと思います。

みなさんは14才ですから、その途中段階にあります。
いわゆる「思春期」という段階です。

この講演を企画した方たちは、あなたがたの年齢に特有の問題やむづかしさが
あるために、この企画をしたのでしょうね。

けれど、私の考えでは、むづかしいのは何もあなたたちの年齢に
かぎったことではありません。

企画した人たち自身が、実は一番むづかしいこころの問題や課題を
乗り越えれなくている人、そのことに気づいてさえいない人かもしれないのです。

こころの問題は生きているかぎりつきまとう、とてもむづかしい問題、

でもまた同時に考えるほどに楽しい課題です。

ただ、唯一言えることがあります。
あなた方の年齢は、お母さんの手から少し離れてある程度自分の力で
変わっていける年齢に達していること。

また、変わっていける速度をカーブで描くとすれば、ものすごい上昇カーブの
時期だということだけです。

そのバランスが、14才以下の人にもマネできない、

15才以上の人にも、マネできない。

おじさんやおばさんにとっては、逆立ちしてもマネできない

特別の時期だ、ということだけなんです。

ですから、中学二年生の人が持っている課題に入る前に、
心というものは一体どうやって成長していくのか、という基本に
たちかえって話したいと思います。

さて。身体の成長が年齢的な段階を追ってなされていくように、
こころも、年齢的な段階を追って発達していくものと考えられています。

まず生まれたばかりの赤ちゃんがわずか生まれて3ケ月ほどの間に、
どんな心の成長と課題があるかについてお話しします。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって生まれた環境が、
最高の喜びで満ちあふれているということが、とても大切です。

喜ばれて、待ち望んで生まれてくる、ということが基本的に大事です。

生まれたばかりの赤ちゃんであっても、こころはあります。

周囲の空気を読む力はおとな以上に備わっています。

こころは生まれた瞬間からありますが、まだ「無」です。

さっさらの、真っ白白です。無垢です、みんな同じです。

汚れというものがまったくありません。

そして生まれたその日から発達していくものです。

なので、喜びに満ちあふれた雰囲気がないと、自分を否定されている気分に
なってしまいます。赤ちゃんて想像以上に敏感なのですよ。

そしてそれがその後々の「自己肯定感」や「基本的信頼感」におおいに
かかわってきます。

「自己肯定感」とか「基本的信頼感」というのは、心の機能の中で、

一番大切な、それがなかったら生きていけないくらいの基本の力です。

あとで、もうちょっと詳しく説明しますが、今は言葉だけ覚えておいてくださいね。

さて、あなたが生まれたとき、安心できる環境であったかどうかを
調べる方法があります。

さあ、なんでしょう。

それは写真です。

今日みなさん帰ったら、「ぼくが生まれたときの写真、見せて」って
たのんで見てください。
お母さんやお父さんやおじいさん、おばあさんが本当にうれしそうに
映っていることでしょう。

写真が残ってなかったらどうしましょう。

そのときには、なぜ写真がないの?ってお母さんに尋ねてみてね。
きっとお母さんから納得のいく説明があるでしょう。

もしお母さんのいらっしゃらない方でも、お母さんの代わりになる人
だったら誰でもいいんですよ。

先生は「お母さん」という言葉を今日はたくさん使います。
だけどそれは代表して言っているだけなんです。
あなた方がここまで育ったからには、どなたか育ててくださった方が
いると思うのです。
その方であれば、母親でなくても全然平気です。

施設で育った、という方を何人も知っていますが、みなさんとても立派に
成人されていました。ですから誤解のないようにお願いします。

さて、ゼロ歳児のこころの発達にもっとも影響するのは、
授乳体験だと言われています。

授乳は赤ちゃんの身体をつくるもっとも大切なことですが、実はこころの
発達ということに関しても同じく大切だと言われています。

もし授乳体験というものが赤ちゃんにとっていろんな意味で満足のいく
楽しいものであり、確かなものであると信じられる場合には、

いいお母さんから、

いいおっぱいが出てきて、

それが自分の身体に入って、

いい自分を作るということになります。

そうなれば赤ちゃんは安心して生きていけるし、お母さんのことも、
自分のことも信じることができるようになります。

授乳体験はこうして、楽しくて、待ち遠しくて、
大変身になる性質のものになるでしょう。

しかし、そうではなくて、何らかの理由で、授乳体験が母子双方にとって
あまりいい体験でなかったとすると、赤ちゃんにとっては、

悪いお母さんから、悪いおっぱいが出て、それが自分の身体に入って、
ついには悪い自分をつくることになりかねません。

お母さんを信じるとか、自分を信じるといいました。

これは、おとなになってから「あの人は優しいから信じる」
「あの人はうそをつくから信じられない」といったようなレベルでの
「信じる」ではありません。

理屈抜きに、人間というものは本来信じるにたるものだ、という感覚。

自分というものは生きていくにたる人間だという「自己肯定感」です。

実はこれはこころの働きの中で、一番大切な基本となるこころの働きです。

お母さんがこれこれの性格だから、とかの理由があるわけではなくて、

少なくともおっぱいを信じる。

お母さんの肌のぬくもりを信じる、

乳房を信じる。

お母さんのいたわりのこころを疑うことなく信じる。

そういうことを裏づけるほどの感覚器官の発達は、

生まれてわずか3ケ月でも十分にあります。

そういう基本的な心の働きが、生まれて最初に体験する事柄を通じて

成就されるというのは、不思議といえば不思議、人間の尊さといえば尊さ。

何事もいい方向に考えることができ
人に対して疑い深い目を向けることなく生きていけて、

自分を「生まれてきてよかった」と思えるというのは、

つまりさっき言った「基本的信頼感」「自己肯定感」なのですが、

生まれてまもなく、あっという間にすぎるわずか3ケ月の間に植えつけられる

心の働きだと思えば、本当に驚きますね。

でも、みなさんのほとんど全部の方が、その条件を満たしていると思われます。

それはなぜわかるかと思いますか。

こうやって中学2年生になるまで、とにもかくにも健康で生きてこれた、
という事実です。

みなさんを心配させるために話したのではないのですよ。

これからの長い将来「いい自分」が出てくるばかりではなく
「悪い自分」が出てくる人もいるでしょう。

また「自分は生きていく値打ちがないのではないか」と思うほどに

落ち込む自分が出てくることもあるでしょう。

それは心の働きの仲で何か欠けた部分があるせいだ。

でもそれは決して自分だけが原因ではない、

親や環境だけが悪いのでもない。

あくまでも母と子、親と子。環境と人間という相互関係の中で、

お互いの関係の中で何か栄養が足りなかったんだ。

足りなかったものがわかれば、その栄養を補給すればいいんだ。

そんな風に考えていけばいいのだということだけは、
しっかり頭に刻んでおいてくださいね。