早くも「挫折」まあやる前で良かった?

今朝、初めて早朝散歩というものをしました。
意を決するところがあって、朝起きてすぐ出かけたのです。

わが家は観光地にあります。旅館やホテルではなく、
ペンションというものがあります。
そこに修学旅行でやって来た子供たちが散歩していました。

震災があってから、東北地方へ修学旅行に行っていた子供たちが、
信州へやって来るようになったらしいのです。

私は案外人見知りなのですが、思いきって声をかけました。
そうしたら「茨城からやってきた中学二年生」だということです。

三々五々に散歩をする「中学二年生」に釘つけになった私。
からだはもうおっさんやおばさんと変わらないくらい大きかったです。

ひとりひとりを見ればかわいいのでしょう。
色気がまだ出ていないので、集団で見ると
顔も、もう色気の抜けきったおっさんやおばさんと同じです。

でも、やっぱりまだまだ子供ですね。

三回にわたって、自分の考えを講演要旨として書いてきましたが、
子供たちを見たとたん「こりゃ、あかん」と思ってしまいました。

こんな子らが200人塊になって、そしてその親が200人近くも
一緒にいる会場で話すんだ。
これは甘くない。一瞬でそう思いました。

おとなは無理にでも聞いてくれるでしょう。
しかし子供はよほど興味をそそられなかったら聞いてくれないのでは
ないでしょうか。

いまどきの子供だから、教師と父兄がいれば一生懸命に聞いてくれようと
するかもしれません。
しかし、しょせんは面白くもない話をされたら、迷惑です。
かわいそうです。

今日は当直。
当直のおっちゃんに手短に話しました。

「どうしよう。話に具体性がないとだめだよね。恋愛の話なんかはいいんだけどね」

「そうそう、それがいいよ」

「でもね。まだ恋愛って感じの年齢じゃないよね。経験のない話はだめだよ。
いっそ、自分の話をしようかしら。いろいろ人生の道で失敗した話」

「うーん。テレビで知ってる有名人が檀上にいるんなら私生活に興味も
わくと思うけどね。
無名の人の人生なんて中学生が興味持つとは思えんよな」

「そうよねえ。そうだなあ。ああ。どうしよう。いい案が浮かばないんだよね」

ふたりは思案に暮れたのでした。

わたしは、中学生たちに何を伝えたいんだろう。

まず、そこだ。まずそこだ。考えました。

まず、何があっても「死なない子」になってほしい。

死んでしまったらおしまい。けど生きているかぎりなんとかなる。
それがホンネなんだけど、いきなりそれじゃあ重い。

なぜ簡単に死んでしまうかというと、自我が育ちきっていない時期に
悩みを持つと、
客観的に自分を見れなくなるからだ。

そうだ、いかに客観的に自分を見つめることができるか。

自分を見つめることができる大人に育ってほしい。

でもこれって、立派なおとなでさえ、出来てない人のほうが多いくらい
困難な人生のテーマなんですよね。
大人でさえ出来てないことを、中学生に話してもな、と思えました。

大人が聞いても納得のいく話を、中学生でもわかるように話したいのです。

やっぱり家族関係、ともだち関係を例として出しながら、誰もがぶつかる
人生の課題について話すことでしょうか。それしかないと思えました。

いきなり「壁」にぶつかってしまいました。

生の中学生に出会って、本当に良かったです。
ふだん、見ないですもん。中学生の集団になどでくわすことのない山の中に
住んでいるのは、こんな場合にはマイナスです。

講演ってね。むづかしいです。
講演大好きという人の話って案外中身がなかったりします。

同じテーマで数回以上やると上手になってくるのですが。

期日は迫っています。