知床まで行きました。

登別は北海道の南端に近いのですが。

今日はオホーツク海を望む北端、知床半島まで。

 

体調が戻らず、しぶる私。

そしてやっぱり膀胱炎になってしまいました。

疲れると膀胱炎になります。

昨年のクルージングの最中も膀胱炎になり、やはり旅行は苦手の

私であるようです。

病院から電話もかかってきますし、申し訳ない気持ちもあって。

 

でも、夫には押し切られてしまいますし、ウニが食べれるかも、

というのに惹かれて知床まで行ってしまいました。

ウニ丼は、獲れだちを食べられました。

うには、伊豆の海に潜った夫がとってきたことがあり、それ以来の新鮮なウニ。

けれども、先週の胃炎がまだ「傷」になっており、朝夕昼ともに

ほとんど食べる気持ちがおきません。目にも腹にも美味しいのですが、気持ちの怖さがとれません。

胃って後のなってから出てくるので、怖いのです。

ですので、食べ放題を、きれいに並べて楽しんでいました。

コックさんには申し訳ないけど、少しづつ残しつつ、本当に無理

しない食べ方。

ご馳走三昧の日々なのでしょうが、太ることはなさそうです。

 

わたし流しあわせの見つけ方

疲れがとれません・・・

最初の日の移動疲れが、ちっともとれません。

家事もなく、上げ膳据え膳で美味しいものをいただき。

しかし、身体はだるくてだるくて仕方ありません。

 

わたし、一体どうなったんだろう。

 

私リラックスの一番の方法であるプールに賭けました。

 

リゾナーレ小淵沢を手がけた星野さんの、星野リゾート・トマム。

これが通り道にあるのです。

 

ここで30分ほど泳ぎました。

これが魔法のように効いて、えも言われぬダルさだけはとれてしまいました。これって何でしょうね。血液循環でしょうか、それとも身体が固くなっていたのでしょうか。

 

旅行も遊びも疲れます。

でもプールで泳ぐことが、これだけ疲れをとるとは!

 

また、すこしがんばれそうですが・・・・・

でも、夫のたてたスケジュールがはげし過ぎて、私はついていけません。

わたしインドア派、夫アウトドア派。

これが私の健康度を上げていることは否定しませんが、一番の悩みの種。

「わたし、もう旅行には行かない!」が私の殺し文句。

でも、やっぱり家に閉じこもっているだけではだめでしょうねえ・・・・・辛いところです・・・・・

せっかくですから、元気で楽しみたいものです。

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登別温泉

今日は登別温泉でした。

北海道の南の端の漁港と山の町。

強い硫黄の匂いが山全体から立ち登っています。

川全体が、もう温泉で熱い、熱い。

私も足浴をしました。

露店風呂は日本一の大きさだそうです。

 

でも、登別駅は、ちいさなちいさな駅で、町も小さい。

日本国中にある、デニーズやガストや、コメリなどがなんにもなくて、ほっとしました。

こんなに何もない、こんなにもひなびた町もあるんだと思いました。

もう一生来ることもない、登別という町をいとおしく感じました。

 

北海道は、夫が若いころ憧れた土地。

そこに分不相応にも別荘を持ったために、一生を狂わせてしまった土地。

別荘は、あっという間に手放してしまったけれど、そこで負債が出来、どんどん負債がふくれあがり、一生を狂わせることになった土地。

こんなこと、ここで書いたらいけないかもしれませんが、夫がつねづね認めていますし、人生の失敗は人格を否定するものではありません。

なので、夫にとっては単なる観光地ではなく、たくさんの思い出の土地のようです。

 

私にとっては、感情を持ち得ない、数回以上連れて来られていますけれど、単に新鮮な蟹やうにが食べられる街。

 

ホテルの従業員のとてもハンサムな青年と話しました。ここが一番いい、でも北海道は広いので、それぞれの地元に散らばった友達とはもう会えないと言っていました。

それでも「ここが一番いい」と言いきれるって何だろうと思いました。

人間の8割は、やっぱり生まれた土地が一番と思うのか、どんなに不便な土地でも、友だちに会えなくても、そう思うんだなあと思いました。

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札幌にて

札幌の、おおどり公園と時計台、北海道大学を歩きました。

夫婦で写真が好きなので、何時間も写真を撮りまくり歩きまくりましたが・・・・・・

帰ってから写真を見たら、200枚くらい撮っても私の場合、

いいのは2~3枚もない状態。

 

つまり、街の写真はいろんなものが入るので難しいのでした。

北海道大学は、今時の時代に珍しく、街のド真ん中にあって、しかも韮崎の街がそっくりそのまま入るくらいの大きさ。

構内にリスがいました。

本当に、本当に、その広大さにびっくり。

その昔、北海道大学に憧れましたが、合格ラインになくてあきらめました。

今の時代ならあきらめなかったかもしれませんが、当時は塾もなく、浪人もあり得ず、残念なことをした、と思うくらい感動しました。

写真の大木は、1980年に植えれたもののようです。

 

それにしても、駄作ばかりの写真の整理に、4時間もかかりました。

原稿が気にかかって仕方がないのに、やめれないのです、やっぱり駄作しか撮れないくせに、写真が好きなんだなあと思いました。

疲れると不整脈が出そうになります、危ないなと思うと休み休みでやるので、なんとか元気で旅行をしています。

 

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ヒコウキに乗って

昨夜はてんやわんや。

今朝8時に家を出て、羽田からヒコーキに乗りました。

夕食にありついたのは夜の7時。

ゆっくり来たとはいえ、田舎から旅に出るのは何かと大変。

 

でも一年に一回は、ずっと家にいる夫孝行をします。

夫婦で大きな旅を計画するのです。

私のためにもなっています。

日常がえんえんと続くと、脳が固くなるから。

切符を落として探したり、道順を研究したり、夫婦でいさかいになったり。

いろんな刺激がとても必要だと思うから。

荷物の準備をすることもとても脳の刺激になりました。

 

写真は札幌の時計台。そして夜の札幌の街。

ヒコウキと飛行場。

たまにたくさんの人を見ると、やっぱりワクワクします。

人からの刺激も私には大事。

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電話嫌い

今日も当直で、ちょっと用事をしようと思っていたら。

電話。

イスラエルの娘からである。

取りたくないのだが、何かあっても困るのでとったら・・・・・・

えんえん、しゃべることしゃべること。

私は電話嫌い。

というより、あまりおしゃべりが好きではない。

くだらない話や愚痴で時間をとられたくない。

我慢して聞いていたら、すっかり思考停止になってしまった。

だから今日は写真だけ。

冷たいかな? 冷たいと言われも平気。

私は携帯電話のない時代に生まれていても良かった。

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連載コラム(40)叱ることのむずかしさを思う

<40>叱ることの難しさを思う

上司に叱られたと⾔って落ち込む患者さんの話を聞くにつけ、叱ることの難しさを思う。そして、つくづく褒めるより叱るほうが何⼗倍も⼤変だと実感する。

私は⼦どもの頃、祖⺟に育てられたのだが、叱られた覚えがない。祖⺟は⾔葉では叱らなかったが悲しそうな表情を⾒せた。私は幼いながらも悪いことをした⾃覚があり、⼩さくなっていた。「⾃分のような⼦どもでも、悪いことをした時には、分かるものだ」ということにわれながら驚いたことを覚えてい

る。⽗親の⼦育ては、普段は何も⾔わないが、いったん約束を破ると、板の間に何時間も正座させるというものだった。

そんな経験からわが⼦にも、がみがみと叱る⼦育てはしなかったし、誰に対しても叱ることは苦⼿で、また慎重でもある。院⻑になってからも患者さんや職員を叱ることはあまりない。軽く注意を促すか、あるいは⾃分が叱らず、しっかり冷静になってから適任の⼈に注意してもらう程度である。

私がなぜ⼈を叱らないかというと、あまりにも叱ることが難しいからだ。叱りたいと思う時、私は相⼿のためを思うと同時に、⾃分の⽴場上であったり、あるいは⾃分の思い通りに育っていない相⼿に対して失望や腹⽴ちの気持ちが混じっていたりすることにも気づく。するとためらってしまうのだ。また、相⼿の事情や体調、⼼の状態抜きに叱ると危険だし、相⼿にとっては⾔い分があっても上司や主治医に⾔い返すのは難しいだろう。そんなこんなを考えすぎて、ついきつく叱れなくなる。

ちなみにかつて厳しく叱ったことのある職員に聞いてみた。「昔、2回ほど叱ったね。覚えてる︖」。すると「あれは院⻑のためにやったことなので納得がいかなかった。でも⾔い返せなかったんです」「もう1回は忘れました」と⾔う。「じゃあ、2回とも的外れで学びになっていないね」と2⼈で思わず笑ってしまった。そんなものなのだ。

クリニックをやっていた20年前には、ある対応のきつい看護師にとても優しく「あなたの⾔い⽅ははっきりしていて分かりやすいけど、患者さんによってはきつく感じる⽅もいると思う。相⼿によるので気をつけてね」と注意したことがある。翌⽇私が受け取ったのは彼⼥の辞表で、翌々⽇からパッタリ来なくなった。あ〜あ。きつくても優しくてもだめなら、いったいどうすればいいの。

今の私の結論は「上司は⾃分の意⾒を⾔い、相⼿にも話す余裕を与え、対等に話し合うくらいがちょうどいい」というものだが今後も試⾏錯誤は続くだろう。こんなゆるいことを⾔っていると、⽴派な⽅からは、まさに「お叱り」を受けるだろうか。

 

 

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ブルーベリーの季節に。

ブルーベリーをいただきました。

摘み放題というのがあって、朝早くから出かけたそうです。

とても甘くて大ぶりの美味しいブルーベリーでした。

☆     ☆     ☆

インスタグラムで、若い画家とおぼしき女性と知り合いになりました。

知り合いになったと言っても、その方の日記風の写真と言葉を

見るだけです。それ以上のおつきあいはありません。

でも、読んだ本、観た映画、飼っている動物。。。などが出てきて、賢明な女性なのだなあと思えます。

みんながフォロワーの数を競う世界の中にあって、そんな風はまったくなく、義理の@いいね!もないようで、とても好感が持てます。

ほおったらかしでもなく、時々写真をアップして楽しんでいる様子もうかがえます。

若い人から学んだ今日でした。

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連載コラム(39)曖昧さに耐えるということ

<39>曖昧さに耐えるということ

これもわたしの好きなコラムのひとつです。

先⽇、福島県相⾺市で精神医療に携わっている元同僚から勧められたテレビを⾒た。番組では、震災直後に多かった⾃死が⼀時減少したものの、最近になって再び増加傾向にあるという話を取り上げていた。その現象をアメリカの社会学者が提唱した「曖昧な喪失」という⾔葉で説明していた。はて、曖昧な喪失とは何だろう。

例えば家屋敷をすべて失った場合、ショックは甚⼤だが諦めざるを得ない状況となり、そのぶん強い覚悟が⽣まれる。ところが⼀時避難などだと、いずれ帰れると期待するが、現実は厳しく期待と失望が繰り返されるうちに⼼が疲弊してしまうのだという。覚悟ができるのと、真綿で⾸を絞められるような状況の違いは、精神科の患者さんも同様で、⼤きなショックには耐えられるのに、わずかな出来事で再発する。

ある重症の統合失調症の⼥性患者さんは、お⺟さんが献⾝的に⾯倒を⾒てくれたおかげで退院できた。ところがそのお⺟さんが突然の病で亡くなる。どうなることかと思ったが、予想に反して彼⼥の症状は落ち着き、病弱な⽗親のために家事までやるようになった。しかしこの病気に再発はつきもの。そしてそのきっかけは、ちょっと⾯⼦をつぶされたような曖昧な出来事であることに気づいた。

親の死を覚悟して再発しなかった患者さんが、どうしてこんな些細なことに弱いのかと不思議に思う。でもこれは統合失調症の患者さん全般に⾒られる傾向なのだ。⼤きな出来事に平気でも「こんなことくらいで︖」というようなことで再発する。それは何も精神障害の⽅特有の現象ではない。

実は私も⾃分を「逆境に強い⼈」だと思っていた。だがその認識は間違っていたかもしれない。⼈間はそもそも逆境には強いのだ。むしろ些細なことや曖昧なことに弱いのが⼈間なのではないか。分かりやすい逆境にあれば、覚悟ができるし、周りの⼈が助けてもくれる。

ここからがポイント!

自分でも読み返しては、心するところ。

だが些細で曖昧なダメージは外からは⾒えず、周りの助けも得られないまま知らず知らずのうちに本⼈の⼒を奪っていく。

震災は極端な例であって、そもそも考えてみれば⼈⽣とは、⼦どもが巣⽴っていくあたりから最期を迎えるまで、曖昧な喪失体験を繰り返していくようなものだ。そして⽼いていくこともまた、希望と失望を繰り返しつつ、だんだんできなくなることが増えていく、まさに曖昧な喪失体験の典型である。⼈⽣の途上にある私には、それに対してどうしたらいいかという知恵は浮かばない。けれども、希望と失望の繰り返しであるグレーゾーンな⼈⽣そのものを、苦しさ⾟さも含めて味わえる⼼境になりたいと思う昨今である。

 

 

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連載コラム(38)愚痴りたいとき思うこと

<38>愚痴りたいとき、思うこと

愚痴はおおむね⼥性の専売特許だ。もちろん男性にも愚痴りたいことは⼭のようにあるだろう。愚痴を⾔えば気持ちがすっきりする、すっきりした後はやる気も出るというもの。ところが、愚痴は聞く側にとってあまり⼼地よいものではない。なのでつい早くアドバイスをして愚痴を⽌めたい衝動にかられる。

でも⽌めようとすればするほど、逆効果になるだろう。相⼿は「⾃分の気持ちを分かってもらえていない」と悲愴感を漂わせ、さらに声⾼く愚痴を述べ⽴ててくるからだ。じゃあ、どうしたらいいの︖ という気持ちになるが、この愚痴のループを⽌める、とっておきの⽅法を提案したい。

例えば⼥性が夫の愚痴を⾔っている場合。積年の恨みつらみがあるだけに迫⼒もあって、中途半端なアドバイスでは通⽤しない。そこで私は「でも、そんな夫を選んだのはあなたでしょう︖」とやんわり問いかける。相⼿は「だけど、その時には気づかなかったんだから仕⽅ないでしょ」。私は「なるほどね。でもちょっと考えてみて。その時、あなたのご主⼈より男前で、⾼給取りで、頭が良くて気がきいて、ステキな男性が近くにいたと仮定しましょう。果たしてその男性は、あなたを選んだかしら」。すると、さすがに⼥性は黙る。黙らされるといったほうが正確だろうか。

これはどんなことにも当てはまる。職場の愚痴しかり、友達の愚痴しかり。先⽇も、職場のもめ事からうつ病を発症して1年ぶりに復職した男性がいた。「なんとかやっています。

しかし、職場は相変わらずレベルの低い問題でゴタゴタしていて嫌になります」と⾔うので、例の持論をぶった。「あなたは地元から出たがらず、⼀番⼿っとり早い就職先を選んだんだよね。もし、勉学に励み苦労の揚げ句、すばらしい会社にたどり着いていたなら、今の状況は起きてなかったかも」と。その時は黙って帰った男性だが、1カ⽉後の診察で「先⽣のあの⾔葉は衝撃でした。⽬からウロコです。職場に対する思いが変わり、⼈⽣まで考えてしまいました」と⾔ってくれた。

ここがポイント!

愚痴や悪⼝を⾔うとき、⼈は「⾃分だけは別」という前堤で話している。でも本当は「別」じゃない。類が友を呼んでいるだけだ。それが分かれば、愚痴を⾔いそうになったとき、⼝を押さえたくもなる。愚痴は⾔っていい。おおいに。だけど、あなただけ「別」でないことを知った上で。この私だからこそ、この夫がいる。この私だからこそ、この会社に居る。この私だからこそ、今の状況を招いている…。そう思うと少なくとも私は、今居る場所を⾼められる⾃分でありたいと思うのだ。

 

 

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