愛を告白されたことありますか?

もともとは、男性に関心のあるほうですが、20年近く前に結婚して以来、男性にワクワクすることがまったくなくなってしまいました。

いや、色気みたいな淡いものはあるんですよ。でも特定の男性にときめくことが全くありませんでした。

いくつになっても色気はあったほうがいいと思っているのですが・・・・

最近になって、20才以上も年下の男性から、突然

「僕、〇〇さんのこと、好きだなあ。Love です」と言われました。まあ 遊びの時間だったのですが。私はキョトンとして「・・・・・」

「〇〇さんも、僕のこと、好きでしょう?」と言ってきます。

私は実はその方が苦手でした。で「どちらかと言うと苦手ですけどねえ」と言いましたら「Love は、ないんですか? 僕はあると言ってるのに」って言います。

若いっていいですね。余計なこと考えないところがいいです。

「まあ、男と女っていうわけにもいかないから、博愛主義的な愛はありますよ」と わけわからないことを言いましたところ。

「じゃあ、僕とレモンといちごは同列ですか? そんなレベルなんですか?」とか言ってきます。

まあ、ふたりの会話はそのあたりでうやむやになってしまいましたし(ああ我ながら、センスない答え方だったです)

次回出会っても、この話はたぶん。

なかったこと。

になることでしょう。

でも久しぶりに、自分が女性として見られたことに感激しました。

ちょっぴりうきうきするのを感じます。

 

数年以上も前に、仕事上でとても素敵なおじさまとご一緒することがあり、単純にとてもうれしかったことがあります。

相手にどうこうというより、自分の中にまだ異性に対するワクワク感があったことに自分で感激したのです。

それで「うれしいです、ご一緒にお仕事できて。なんだか今まで出来なかったようなことが出来るかも、ってわくわくします」と言いましたところ。

突然「期待なんかしないでくださいよ」と怖い顔で言われてびっくり。

やっぱり若いっていいですね。

わたし、おじさんは嫌いです。

年とっても異性の魅力に敏感でいることは、私は礼儀だと思います。

おじさん、おばさんになると、異性に対する感受性が低下してしまい、礼儀を失う気がします。

異性に対するある程度の関心や興味やささやかな愛は、もはや礼儀だと思っています。

結婚相手を見つけるときだけ、男や女になるんですものね。そんなのただの雄、雌じゃあないですか。

礼をつくして、襟を正して、男性と会話しなければと思ったことでした。

 

コラム(20)身体の声に耳すますってどういうこと?

 

今日は、精神科医から⾒た「からだの健康法」について書いてみたいと思います。

ある⼈は90歳を超えても元気で1⼈暮らしをしているかと思えば、ある⼈は70歳を過ぎて歩けなくなったり、認知症が始まったりします。

若いころは皆同じように健康なのに、⼈⽣後半のこの違いって一体何でしょう。そう思いませんか?

私は若いころから、いつもこの疑問を持ちながら診察しているんです。答はまだ見つからないのですが。

 

もちろん⻑寿法は、今更私が⾔うまでもなく「⾷事と運動」などの⽣活習慣によるところが⼤きいこと、はよく知られています。問題は、そのあり⽅でしょうか。

ジャズダンスにはまっているA⼦さんとB⼦さんは共にからだを動かすことが⼤好き。ところがある時、A子さんもB子さんも無理がたたり膝を痛めてしまいました。

A⼦さんはダンスを諦め、膝に負荷のかからない⽔泳に切り替えることにしました。

B⼦さんはダンスにこだわり続けたのですが⼀向に膝が治らず、⽣きがいを奪われた落胆から、うつ状態になってしまいました。

健康のために始めた運動が、かえって健康の邪魔になったとも⾔えるケースです。

⾷事についても同じで、何かがブームになると、皆がそれに⾶びつく傾向があります。しかし⾷事にしろ、運動にしろ、その⼈に合ったことは顔が違うようにみんな違うのです。

違うだけでなく、その⼈の中でもどんどん変化していくものです。

だから時期や年齢、体調などに合わせて柔軟に変えていかなければならないのが健康法です。

どんなに良いことでも固定化された途端にそれは「健康法」ではなく「病気法」になりかねない、というのが私の持論です。

⾼齢になっても元気で暮らしている⽅々は、事もなげに「好きなものを好きなだけ⾷べています」とか「好きな畑仕事をしているだけ」とおっしゃることがとても多いのですよ。

頑張って運動している⼈より、⾃然体で⽣きている⼈の⽅が健康だなんて⽪⾁なことですが、実はそこに鍵があると私は思います。

そういう⼈が何もしていないわけでは決してないのです。

ここがポイント!

例えば、畑仕事、草むしり、⾞をやめて歩くようにしたなど、⽇頃からよくからだを動かしています。⾃分を⾒つめる習慣が⾝についており、⾃分が快いと思うことを選んでいます。

また、暮らしの中にからだを動かす仕組みを上⼿に取り⼊れているのです。

⾃分を過信せず、からだと相談しながら無理をしないという共通点が見られます。

つまりは健康法に情報はいらないのではないでしょうか。

それは⼈から教えられたり、押しつけられたりするものではなく、それぞれが⼯夫しながら⾒つけるものなのでしょう。

そのためには、まず⾃分の体質を知りましょう。

⾃分の好みを知りましょう。

⾃分のからだの声に⽿を傾けましょう。

そしてからだと相談しながら模索して変えていきましょう。

そうやって⾃分だけの「究極の健康法」を⾒つけ、育てていこうではありませんか。

平凡かもしれないが、そのプロセスを楽しむことが、元気で⻑⽣きできるコツかもしれないと思うのです。