アフター・クリニック創刊準備号お届けしました。

(お知らせ)

アフター・クリニック創刊準備号、本日お届けしました。

事前登録してくださったみなさま。

ぜひお読みください。

パソコンのブラウザによっては、見にくいものもあると思います。

一定の枠の中に写真と字がきれいにおさまっているものが、本来の形です。

メルマガの冒頭に「ここ」という所があります、そこをクリックしてくださいね。

見やすくなるような「お知らせ」も入りますので、見逃さないようお願いします。

    

          

今日は伊豆からの帰り、天城の浄蓮の滝に寄りました。

きれいで迫力のある滝でした。

体力との戦い

仕事は知力ではなく。
体力との戦いだいつも思います。

ダウンせずに働く。
ここぞ! という時、力を発揮する。

その2点の連続なのです。

能力的には、私も患者さんも他の人たちもそれほど変わりありません。
だけど、その2点でもって、私は人より優れているのです。

昨日のウオーキングを距離ではかったら、3キロ×2 6キロ。
それも坂道。
今日は足も痛くなかったです。
強くなったなあと感慨にふけりました。
身体とは、いつも対話しています、本当に気を使っているのです。

ところが昼すぎから、肩から腕にかけて、ハンパじゃないだるさに襲われました。

経験したことのないだるさです。
新種のビョーキ?
かもしれない。実にいやなだるさです。

いろいろと考えた結果、夕方になってやっと理由に思いあたりました。

ピアノです。

バッハのプレリュードを力いっぱい一時間ほど弾いたせいでした。
下手なので、やけに力入っているのですね。
まあ、それくらい速く弾けるということでもあります。

今日は仕事にさしつかえるほどのだるさでした。
たかがピアノで。
想像もしなかったです。

からだを維持することは、大変なことだと思います。
大仕事ですよ。

そうそう、茅野文化ホール(小ホール)で12月10日1時すぎから弾きます。

わたしのピアノは、弾ける曲がまだ4曲というくらい下手なんですが。

不思議や不思議。ファンがいるのですよ。

クレソンを見つけたのでサラダにしました。

憂うつな一日。

こんなこと、ここに書いていいのだろうか。

いやいや。
ホンネで書くことで人気を保っているブログだ。
隠すのは良くない。
書いてしまう。

アフター・クリニックの創刊準備号をだす時期にきた。

しかし、メルマガを書くと考えただけで憂鬱だ。

だって、毎週だよ。
それも何年もだよ。

憂鬱にならない人なんかいるだろうか。

ブログを毎日書くだけでも大変なんだよ。
その上でメルマガ?

憂鬱以外の何物でもない。

じゃあやめる?
やめたら可能性ゼロ。
でも始めたらゼロではない。

そんなに嫌なのに、なぜやるの?って思う?

やめることは簡単。

いつも少しだけ上を見て生きる。
それが私の生き方だから。

そう。

それが私の生き方だから。という以外、答えようがない。

ああ。書いた。ばらした。いい、ばらしても、誰も傷つけてない。

だれの、どんな気持ちも。
ちゃんとした「居場所」を与えられていいんだよ。

頭はアフター・クリニックのことだけに。

雑誌「いきいき」の12月号に載りました。

最初は、出版した本が売れたらいいな、と思っただけでした。

ところがそうこうするうちに、長年のインターネット心療相談の計画を

形にしてくれる会社と出会ったのです。

で、頭はもう、それだけになってしまいました。

本のことが飛び、私のブログや新しい計画について載せてほしいと、

強く、強くお願いしました。

で、載りましたよ! ナットクしました。

全国で20万部、売れている雑誌です。

けれど、本の読者でインターネットをしている率は少ないそうです。

効果はあまりないでしょう。

でも。いいんです、始まったばかりですもの。

でもでもでも。

わたし、開業は三回目なんです。

金沢と大阪。全部最初は本当に大変だった。経験者です。

だから今回も3年はかかると思っています。

根気強く、働きかけ続けます。

楽しみながらやります。応援してね。

アフター・クリニック開設のお知らせ

正式会員になると有料になりますが、

事前登録していただいた方に無料でメルマガが配布されます。

そこで十分に考えてから正式登録をしていただけます。

なお、アフタークリニックは健康な方でも有用であるように仕組まれております。

アフタークリニック開設のお知らせ

インターネットで心療相談を始めようと思います。

これまで患者さんともっと長い時間お話をしようとしても、
なかなか時間がとれませんでした。
そこで、治療が終わって社会復帰しようとしている方や
ご家族の方、またこころの悩みを抱いている方々のご相談に
じゅうぶん乗れるよう、
インターネットを使った心療相談室「アフタークリニック」を
開設することにしました。

アフタークリニックでは、ご相談に乗る以外に、

会員さんが日々のくらしをチェックしたり生活記録を付けて

ドクターからコメントをもらったりできます。

会員同士で語り合う掲示板も用意します。

また、こころとからだの問題についてためになる情報を満載したメルマガを

毎週発行する予定です。併せてご利用下さい。

アフタークリニックはもうすぐスタートします。
興味をお持ちになられたら、とりあえず下記より事前登録してみて下さい。
後でご案内を差し上げます。
   http://www.yumeline.com  精神科医小林絢子「くもりのちしあわせ」

尚、正式会員になる場合には有料になりますが、事前登録と事前登録された方に
お送りする最初のメルマガの購読は無料です。
それをご覧になり、正式会員として登録するかどうかゆっくりご検討いただければ
幸いです。

どうぞよろしくおねがいします。

            精神科医   小林絢子

中学二年生・講演・その6

お知らせ

いよいよアフター・クリニックがスタートします。
HPトップ(ブログ表紙・http://www.yumeline.com)から「お知らせ」を
クリックすると 事前登録のページにいきます。
ぜひ事前登録をお願いします。
メルマガが配信されます。

さて、長くなりました。
読んでくださっている方々にお礼申しあげます。
思春期特有のむずかしさへの対応も大事です。
主催者はそれを求めているのでしょう。
しかしそこに至るまでの過程は以外に親や子に知らされていません。
だからこそ大事だと思い、書いています。

さて、ご両親と一緒に住む家の隣にもう一軒「あなた」というおうちが
建った状態、というのが、あなた方の置かれている状況だと話しました。

ご両親のおうちとあなたが住むおうちは、棟続きで渡り廊下があります。
あなたは自分の家で暮らしてもいいし、
ときどき甘えるためにご両親のおうちに帰ってもいいし。
どちらでもいいという状況です。

これから長い一生を自分の力で生きていかなければいけない。

しかし今は親に甘えることもできる。
嫌だったら自分の家に行くこともできる。

ご両親によっては土足でずかずかとあなたのおうちに入ってくる
人もいるでしょう。
だけど心あるご両親なら「入っていい?」
ノックのひとつもするでしょうね。

ところであなたの家ができあがったのは、今に始まったことではありません。
家らしい形になったのは、

実は小学校の3年生か4年生のころです。

そのころ、自分の親は本当の親ではないんではないか。
本当の親はどこか別のところにいるんではないか、という
そんな思いを持ったことはありませんか。
た自分の親がもしいなくなったらどうしよう、と不安になったことは
ありませんか。

また、家出をしたらどうなるかな。
親は心配するだろうか、など想像してみたことはないですか。

いままでは、親との関係にどっぷりつかっていたあなた方が、
親から離れて客観的に自分を見てみたい。

親から独立した自分は、いったい何者なのか、

という問いかけをする時期があったはずです。

自我の目覚めと呼びます。

もちろん自らに問うわけではない、意識するわけでもないのですが、
しかし、そんな心理状態になっていることは、
大人ならだいたい誰でもわかるんですよ。

あなたが10年20年たって、子供を持ったとき、きっと今日の話を
思い出す、という形で初めて意識にのぼるかもしれません。

そして、世界で一番だったお父さんやお母さんの位置づけが、
このあたりを境にして下がる一方になります。
そして親との間で求めても得られなかったものを親以外のところで
求めようとします。
しかし外での体験に疲れ果てて帰るところは、
やはりご両親の家しかありません。

ですから親に反抗的になって心を開かなくなったかと思うと、
外での疲れを癒すかのように、
以前より妙に甘えたりべたべたしてきます。

そのあたりの心理的状況を親御さんのほうでもわかってあげないと、
今まで可愛い可愛いで育ててきた子供が、
黙ってしまったり、反抗的になったりする。

子供に、裏ぎられたような気持ちになって、ついつれない態度で接して
しまうことがあります。

素っ気なくされた子供が、一時的に憂うつな状態になることは、

しばしば見られます。

「自我の目覚め」ともいうべき、この時期には親も子供も
つらい時期かもしれません。

腹立たしく扱ってしまったり、逆に「反抗期よ」と事もなげに
言い放ってしまう親御さんもいます。
どちらも子供の気持ちをちょっぴり憂うつにさせてしまうかもしれませんね。

子供とすれば、そういう心理状態にある子供を理解して
「ああ、成長したんだなあ」と丁寧に扱ってほしいところです。

さて、親の家に住みながら、ときどき自分の家が新しく建っていくのを
見ているような不安定な時期を経て。
今、はっきりと、親から精神的に独立した「自分」を持ち始めたあなた方が
存在するわけです。

どうですか。

長々と話してきましたが、あなたが今ここに至るまで、

あなた自身がどんなにたくさんの心の旅路をしてきたか。

少しはわかってくれましたか。

そしてここに至るまでの長い間、お父さんやお母さんが
どれだけあなた方の心を育てるために、時には心から楽しみながら、
時には自らを犠牲にしながら、
時には不安や戸惑いや腹だたしさを感じながら、育ててくれたか、
少しはわかってくれましたか。

中学二年生・講演・その5

ちょっとひるみましたが、温かいコメントなどをいただき、
そのまま続けました。
まず自分の中で整理するために。

一才をすぎた子供にとって、つぎの課題は排泄です。
ウンチやおしっこをもらさないことはとても大事なことです。
これは筋肉や神経が発達していればいずれ誰でも出来るようになります。
訓練をやらない民族もあるのですが、日本人はかなり神経質にやる民族です。
ただその訓練がどういう風におこなわれたか、
などということを普通は誰も母も子も覚えていないでしょう。

わたしが今話していることはすべて「こころの基礎工事」です。

家を建てるときには地下何メートルまで掘って、どれだけコンクリートを
入れたかなど、基礎工事のやり方で家の丈夫さが決まります。
だけど建ったとたん、基礎工事は見えなくなります。
家にとって一番大切な部分が実は見えない仕組みです。

心もそれととても似ています。

「心の基礎工事」はお母さんによって大部分を幼児の間に行われますが、
誰も覚えていない隠れた部分です。

トイレのしつけひとつとっても、心理的にはとても意味のある行為だと
言われています。

子供のこころは、お母さんをいかに喜ばせるか、そのことに心をくだく
過程が「こころが発達するプロセス」になるよう仕組まれています。

人見知りなどというものも、お母さんを喜ばせることこの上ない行為です。
赤ちゃんはそれを自然にやるなかで、一生懸命子供を育てている
母親を喜ばせ、同時に笑顔が人を喜ばせるという社会性まで
身につけてしまいます。

排泄に関しては、もっとお母さんを喜ばせます。
お母さんとの関係が良好であるなら、お母さんの喜ぶ顔をみたい一心で
がんばって訓練にのぞむでしょう。
お母さんとの関係が良好でないなら、お母さんを困らせたくなります。
失敗すればすればするほど、おかあさんはこまります。 

もちろん赤ちゃんが意識してそのようなことをやるわけではありません。
自然にそうなってしまうのです。

このパターンは、赤ちゃんとお母さんとの関係だけにとどまらず、
対人関係のパターンとして社会の中に入っても
繰り返されるようになります。

人が社会性を持った存在になれるかどうかに関係してきます。
いろんな人との関係の中で自分をさらけ出したり、こころを開けたり。
本来ならさらけ出さないような部分でもさらけだして、一緒に喜んだり、
悲しんだりできるか。

あるいは自分の殻にこもったまま、あまり社会の中で自分をさらけ出す
ことをしない人として生きていくか。

どんな証拠があるんだ、と言われそうですが。

しかし、赤ちゃんを見ていますと、普通で想像する以上に、
赤ちゃんはこころを持っています。

たとえばとてもいい子で育ち、トイレ訓練もスムーズに行った子が
社会性を獲得するのも早いかというと、そうでもないんです。
後々、母親に暴力をふるうようになった子供のケースもありました。

なぜ、というのはわかりませんが、たとえばお母さんの強硬さに負けた。
つまり子供のほうで身を引いた、ということも十分考えられます。
人間というのは、どこかで必ず帳尻を合わせるようになっています。

あるいは「困難をきわめた」という幼児がいました。
困ったお母さんが、あの手この手で工夫したのです。
その工夫した、努力した、という心そのものが子供に伝わって、
結果オーライとなったりします。

人間のこころは尊いのは「結果」ではありません。
どれだけ関わって、どれだけ心をくだいたか、なんです。

そうです、「いい」とか「悪い」とか一面的に見れないのが心です。

そして。赤ちゃんがあの手この手で、お母さんを喜ばせたり
困らせたりする様子は、
わたしたち大人になった人たちも、
日常の暮らしの中で繰り返し使っている
同じ手口なんです。

そうしてこころの基礎工事はこうやってまだまだ続くことになります。

さて、そんなある日、とんでもない事態がおきました。
わが家は夫婦ふたりの暮らしです。
夫は会社に行って働いています。
わたしは家にいて、毎日ご馳走をつくって夫の帰りを今か今かと
待っているのです。

と、ある日のこと。
夫がきれいで若い女性を伴って帰宅したのです。
そして言い放ったのでした。

「今日からこの女性がこの家に住むことになりました。
僕は彼女を愛しているのです。あなたもこの方に優しくしてね」
わたしはびっくり。寝耳に水。
「はい、そうですか、どうぞ、どうぞ」というわけにはいきません。
怒ったり泣いたり大騒ぎとなりました。

弟や妹の生まれた三才の子供も。
こういう人生の悲哀をもはや避け難いものとして体験しているわけです。
その不条理な状況を誰も救うことはできません。
子供が自分で処理するしかないのです。

お父さんとお母さんが喧嘩をしたり。
兄弟喧嘩が始まったり。
いろんなことがあります。

そして「心の基礎工事」に3年。
家を建てて「10年。」
立派なおうちが建ちました。
もう大丈夫かな。

雨もりがしたり、壁がこわれたりはするでしょう。
でも倒れることはないだろう。

そのおうちから、お父さんとお母さん、そろそろ出ていくよ、やれやれ。
それが今の時期。

それが、今のあなた方の置かれた状況です。

早くも「挫折」まあやる前で良かった?

今朝、初めて早朝散歩というものをしました。
意を決するところがあって、朝起きてすぐ出かけたのです。

わが家は観光地にあります。旅館やホテルではなく、
ペンションというものがあります。
そこに修学旅行でやって来た子供たちが散歩していました。

震災があってから、東北地方へ修学旅行に行っていた子供たちが、
信州へやって来るようになったらしいのです。

私は案外人見知りなのですが、思いきって声をかけました。
そうしたら「茨城からやってきた中学二年生」だということです。

三々五々に散歩をする「中学二年生」に釘つけになった私。
からだはもうおっさんやおばさんと変わらないくらい大きかったです。

ひとりひとりを見ればかわいいのでしょう。
色気がまだ出ていないので、集団で見ると
顔も、もう色気の抜けきったおっさんやおばさんと同じです。

でも、やっぱりまだまだ子供ですね。

三回にわたって、自分の考えを講演要旨として書いてきましたが、
子供たちを見たとたん「こりゃ、あかん」と思ってしまいました。

こんな子らが200人塊になって、そしてその親が200人近くも
一緒にいる会場で話すんだ。
これは甘くない。一瞬でそう思いました。

おとなは無理にでも聞いてくれるでしょう。
しかし子供はよほど興味をそそられなかったら聞いてくれないのでは
ないでしょうか。

いまどきの子供だから、教師と父兄がいれば一生懸命に聞いてくれようと
するかもしれません。
しかし、しょせんは面白くもない話をされたら、迷惑です。
かわいそうです。

今日は当直。
当直のおっちゃんに手短に話しました。

「どうしよう。話に具体性がないとだめだよね。恋愛の話なんかはいいんだけどね」

「そうそう、それがいいよ」

「でもね。まだ恋愛って感じの年齢じゃないよね。経験のない話はだめだよ。
いっそ、自分の話をしようかしら。いろいろ人生の道で失敗した話」

「うーん。テレビで知ってる有名人が檀上にいるんなら私生活に興味も
わくと思うけどね。
無名の人の人生なんて中学生が興味持つとは思えんよな」

「そうよねえ。そうだなあ。ああ。どうしよう。いい案が浮かばないんだよね」

ふたりは思案に暮れたのでした。

わたしは、中学生たちに何を伝えたいんだろう。

まず、そこだ。まずそこだ。考えました。

まず、何があっても「死なない子」になってほしい。

死んでしまったらおしまい。けど生きているかぎりなんとかなる。
それがホンネなんだけど、いきなりそれじゃあ重い。

なぜ簡単に死んでしまうかというと、自我が育ちきっていない時期に
悩みを持つと、
客観的に自分を見れなくなるからだ。

そうだ、いかに客観的に自分を見つめることができるか。

自分を見つめることができる大人に育ってほしい。

でもこれって、立派なおとなでさえ、出来てない人のほうが多いくらい
困難な人生のテーマなんですよね。
大人でさえ出来てないことを、中学生に話してもな、と思えました。

大人が聞いても納得のいく話を、中学生でもわかるように話したいのです。

やっぱり家族関係、ともだち関係を例として出しながら、誰もがぶつかる
人生の課題について話すことでしょうか。それしかないと思えました。

いきなり「壁」にぶつかってしまいました。

生の中学生に出会って、本当に良かったです。
ふだん、見ないですもん。中学生の集団になどでくわすことのない山の中に
住んでいるのは、こんな場合にはマイナスです。

講演ってね。むづかしいです。
講演大好きという人の話って案外中身がなかったりします。

同じテーマで数回以上やると上手になってくるのですが。

期日は迫っています。

中学二年生・講演から・その2

講演の準備。
中学二年生が、飽きずに聞いてくれるかなあ。
自信ないな。
わかりやすく話すって大変。

さて、生まれてから年老いていくまでの間の、こころの成長、ということ
についてお話ししようと思います。

みなさんは14才ですから、その途中段階にあります。
いわゆる「思春期」という段階です。

この講演を企画した方たちは、あなたがたの年齢に特有の問題やむづかしさが
あるために、この企画をしたのでしょうね。

けれど、私の考えでは、むづかしいのは何もあなたたちの年齢に
かぎったことではありません。

企画した人たち自身が、実は一番むづかしいこころの問題や課題を
乗り越えれなくている人、そのことに気づいてさえいない人かもしれないのです。

こころの問題は生きているかぎりつきまとう、とてもむづかしい問題、

でもまた同時に考えるほどに楽しい課題です。

ただ、唯一言えることがあります。
あなた方の年齢は、お母さんの手から少し離れてある程度自分の力で
変わっていける年齢に達していること。

また、変わっていける速度をカーブで描くとすれば、ものすごい上昇カーブの
時期だということだけです。

そのバランスが、14才以下の人にもマネできない、

15才以上の人にも、マネできない。

おじさんやおばさんにとっては、逆立ちしてもマネできない

特別の時期だ、ということだけなんです。

ですから、中学二年生の人が持っている課題に入る前に、
心というものは一体どうやって成長していくのか、という基本に
たちかえって話したいと思います。

さて。身体の成長が年齢的な段階を追ってなされていくように、
こころも、年齢的な段階を追って発達していくものと考えられています。

まず生まれたばかりの赤ちゃんがわずか生まれて3ケ月ほどの間に、
どんな心の成長と課題があるかについてお話しします。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって生まれた環境が、
最高の喜びで満ちあふれているということが、とても大切です。

喜ばれて、待ち望んで生まれてくる、ということが基本的に大事です。

生まれたばかりの赤ちゃんであっても、こころはあります。

周囲の空気を読む力はおとな以上に備わっています。

こころは生まれた瞬間からありますが、まだ「無」です。

さっさらの、真っ白白です。無垢です、みんな同じです。

汚れというものがまったくありません。

そして生まれたその日から発達していくものです。

なので、喜びに満ちあふれた雰囲気がないと、自分を否定されている気分に
なってしまいます。赤ちゃんて想像以上に敏感なのですよ。

そしてそれがその後々の「自己肯定感」や「基本的信頼感」におおいに
かかわってきます。

「自己肯定感」とか「基本的信頼感」というのは、心の機能の中で、

一番大切な、それがなかったら生きていけないくらいの基本の力です。

あとで、もうちょっと詳しく説明しますが、今は言葉だけ覚えておいてくださいね。

さて、あなたが生まれたとき、安心できる環境であったかどうかを
調べる方法があります。

さあ、なんでしょう。

それは写真です。

今日みなさん帰ったら、「ぼくが生まれたときの写真、見せて」って
たのんで見てください。
お母さんやお父さんやおじいさん、おばあさんが本当にうれしそうに
映っていることでしょう。

写真が残ってなかったらどうしましょう。

そのときには、なぜ写真がないの?ってお母さんに尋ねてみてね。
きっとお母さんから納得のいく説明があるでしょう。

もしお母さんのいらっしゃらない方でも、お母さんの代わりになる人
だったら誰でもいいんですよ。

先生は「お母さん」という言葉を今日はたくさん使います。
だけどそれは代表して言っているだけなんです。
あなた方がここまで育ったからには、どなたか育ててくださった方が
いると思うのです。
その方であれば、母親でなくても全然平気です。

施設で育った、という方を何人も知っていますが、みなさんとても立派に
成人されていました。ですから誤解のないようにお願いします。

さて、ゼロ歳児のこころの発達にもっとも影響するのは、
授乳体験だと言われています。

授乳は赤ちゃんの身体をつくるもっとも大切なことですが、実はこころの
発達ということに関しても同じく大切だと言われています。

もし授乳体験というものが赤ちゃんにとっていろんな意味で満足のいく
楽しいものであり、確かなものであると信じられる場合には、

いいお母さんから、

いいおっぱいが出てきて、

それが自分の身体に入って、

いい自分を作るということになります。

そうなれば赤ちゃんは安心して生きていけるし、お母さんのことも、
自分のことも信じることができるようになります。

授乳体験はこうして、楽しくて、待ち遠しくて、
大変身になる性質のものになるでしょう。

しかし、そうではなくて、何らかの理由で、授乳体験が母子双方にとって
あまりいい体験でなかったとすると、赤ちゃんにとっては、

悪いお母さんから、悪いおっぱいが出て、それが自分の身体に入って、
ついには悪い自分をつくることになりかねません。

お母さんを信じるとか、自分を信じるといいました。

これは、おとなになってから「あの人は優しいから信じる」
「あの人はうそをつくから信じられない」といったようなレベルでの
「信じる」ではありません。

理屈抜きに、人間というものは本来信じるにたるものだ、という感覚。

自分というものは生きていくにたる人間だという「自己肯定感」です。

実はこれはこころの働きの中で、一番大切な基本となるこころの働きです。

お母さんがこれこれの性格だから、とかの理由があるわけではなくて、

少なくともおっぱいを信じる。

お母さんの肌のぬくもりを信じる、

乳房を信じる。

お母さんのいたわりのこころを疑うことなく信じる。

そういうことを裏づけるほどの感覚器官の発達は、

生まれてわずか3ケ月でも十分にあります。

そういう基本的な心の働きが、生まれて最初に体験する事柄を通じて

成就されるというのは、不思議といえば不思議、人間の尊さといえば尊さ。

何事もいい方向に考えることができ
人に対して疑い深い目を向けることなく生きていけて、

自分を「生まれてきてよかった」と思えるというのは、

つまりさっき言った「基本的信頼感」「自己肯定感」なのですが、

生まれてまもなく、あっという間にすぎるわずか3ケ月の間に植えつけられる

心の働きだと思えば、本当に驚きますね。

でも、みなさんのほとんど全部の方が、その条件を満たしていると思われます。

それはなぜわかるかと思いますか。

こうやって中学2年生になるまで、とにもかくにも健康で生きてこれた、
という事実です。

みなさんを心配させるために話したのではないのですよ。

これからの長い将来「いい自分」が出てくるばかりではなく
「悪い自分」が出てくる人もいるでしょう。

また「自分は生きていく値打ちがないのではないか」と思うほどに

落ち込む自分が出てくることもあるでしょう。

それは心の働きの仲で何か欠けた部分があるせいだ。

でもそれは決して自分だけが原因ではない、

親や環境だけが悪いのでもない。

あくまでも母と子、親と子。環境と人間という相互関係の中で、

お互いの関係の中で何か栄養が足りなかったんだ。

足りなかったものがわかれば、その栄養を補給すればいいんだ。

そんな風に考えていけばいいのだということだけは、
しっかり頭に刻んでおいてくださいね。

中学二年生への講演から その1

近く、中学二年生を対象に講演をします。
しばらくブログに講演要旨を載せます。
良かったら読んでくださいね。

みなさん こんにちは。
精神科のお医者さんを長~く続けている○○です。
今日はよろしくお願いします。

講演は今までにたくさんやってきましたが、中学生の方をお相手に話すことは
初めてです。そもそも、中学校に足を踏み入れたのは、
わが子が中学生だったころ、つまり20年前以来です。
めずらしくてキョロキョロしています。

なんだかとてもうれしい気持ちですよ。

講演をたくさんやってきました。
大人になった人たちが対象でした。
でもね。大人の人はたいていは次の日になると内容を忘れて
しまうことが多いようです。

大人の人は「忘れん坊」でしょうか。いえいえ、そんなことはありません。
みんな賢い方ばかりです。なのに、なぜ忘れるんでしょう。

スポンジのたわし。土、布、木、そしてコンクリートの壁と。
だんだん固くなってしまい、水をはじきだす力も大きいでしょう?

それと似ています。硬くて吸収できないのです。

頭が良くて、知恵があって、自信もあって、心も強い人ばかりです。
すごくたよりになりますね。でも心や頭が強くても固いので、
他人の話を聞いても、心の底から受け入れることができない頭に
なっています。

苦労してお話の準備をして話しても、みなさんつぎの日には忘れてしまいます。
自分ではじきだしているんですね。

ですから、大人の人に対する講演はもうやらないと決めていました。
いつか、いつか、中学生や高校生の人を相手にお話しをしたい。

いつかそんなボランティアをしたいとひそかに夢みていました。

それはなぜだと思いますか。
中学生のころには、スポンジが水を吸収するように、
いろんなことを吸収していきます。そしてそれが大きな貯金となって、
将来の役にたちます。

中学生のときに、誰に教わったか。

誰に出会ったか。

誰の話を聞いたか。

どんな経験をしたか。

それは莫大な利息のつく大きな貯金となって、将来にわたって何年も
引きだされていくお金のようなもの。

けれど、先生は今も現役の医者です。
診療にいそがしくて中学校にくる機会もありませんでした。
そんなある日、ここの中学校から「お話しに来てください」とたのまれました。

本当にうれしかったです。
わたしにそんな機会が与えられるなんて夢のようにうれしいです。

ですが、先生は同じ先生でも、学校の先生と丸反対。
しゃべる仕事ではなく、人の話を聞く仕事なんです。
わたしの両親は共に学校の先生でしたので、学校の先生になったらどうか、
と言われました。

でも御免もうむりたいと思いました。
それは人の前でしゃべることが嫌いだと子供心にわかっていたからです。

ですから、みなさんを相手に講演をしたいという夢とうらはらに、
「たくさんの人の前で話すのは嫌だなあ」と最近ずっと悩んでいました。

先生はね。書くことは得意なの。
聞かれたことに答える形で文章にするのは大好きなんです。

でも話すことは、うんと苦手。
ですから、みなさん、今日は苦手なことだけど、
みなさんに会いたい一心で一生懸命話す内容を考えてきた、
ちょっとかわいそうな先生、と思って聞いてくださいね。

話す内容は「こころ」についてです。

先生は「精神科のお医者さん」なんです。

精神科のお医者さんと話す機会は、たぶん生涯で最初で最後になる方も
いるでしょう。
それくらい珍しいお仕事です。
みなさんがこれからの長い将来にわたり、

自分の「こころ」に目を向けられる人になったらいいな。

その機会になればいいなと思います。

みなさんは生まれてまだ、たった13年です。
80才、90才まで生きる人が多い中で、人生のほんの入り口にしかすぎません。

だけど、人生の土台を作るもっとも大切な時期の13年です。

あなた方はたった13年ですでに大きな山をふたつも越えています。

どんな山を越えたでしょうね。

ひとつはね。生まれる前の準備の時期です。

もう覚えていないかもしれません。
いえ、覚えている人など誰ひとりいないでしょうね。

でもあなた方は、天国の片隅で、生まれてくる仲間と肩よせあって、
この地球を見ていた時期があったんですよ。

どの両親にしようかな。どの人の子供になろうかな、って。

今日もご両親の来ておられる方もいると思いますが、
ご両親が結婚していなかったらあなた方は生まれてきていません。
ご両親がデイトしたり、恋愛したり、くっついたり、離れたりしながら、
最後は結婚に至って家庭を築く。

そのプロセスなくして、今のあなた方は存在しません。

あなたが生まれたことは、ご両親、そのまたご両親、そう。
過去のたくさんの歴史を
いっぱいその背中に背負って生まれたきたということなんです。

あなたのお父さんの精子とお母さんの卵子が結びついて、
あなたという子供ができたわけですが、もしも。
あなたが生まれようとした夜に、あなたのお父さんの仕事が長引いて
帰宅がいつもより遅くなった。

あるいはうんと晴れた日だったのに、その日にかぎって大雨が降った。

たったそれだけの理由で、あなたは除外され、別の誰かが生まれているんです。

あなたは永久に、この世に生まれなかったかもしれない。

それくらい、「生まれる」というだけでも大変なことなんです。
とてつもない素晴らしい機会をいただいた。

奇跡に近い出来事だったんです。

その奇跡をくぐりぬけて、生まれてきたのですよ。

大きな大きな山を一つ登って降りて生まれてきたんですね。

そのことをまず頭にしっかり刻んでください。

とても大切なことです。

そして事あるごとに、思いだしてくださいね。

生まれただけで奇跡なんだ、奇跡なんだ。

そのことを思いだしただけで、元気の出る日だってあるかもしれませんよ。

きっとあると思います。