こころの病と向き合うために・2

精神科というのは、ある意味「社会の窓」です。ですから当然かもしれませんが、社会のほうにも変化

があらわれ始めていました。

今から20年前、最近死刑に処せられたという宮崎 勤の幼女殺害事件がおきました。精神的異常を

疑われ、精神鑑定がおこなわれました。3人の鑑定医がそれぞれ別々の鑑定結果を出すという異例の

事件でした。わたしは関心を持ちましたし、驚いたことはたしかですが、特殊なケースだろうと思い、

いずれ忘れていったように思います。

ところがそれから8年後、忘れられない事件が起きました。神戸の14歳少年による殺人事件です。

手のこんだ残虐な事件の犯人がまさか14歳の少年だとは、誰も予想しなかったのではないでしょうか。

わたしが「大変な時代になった」と感じた理由は、その少年に精神的疾患がなかった、つまりごく普通に

生まれて生きていくはずだった少年が、育ったプロセスの中で、事件を起こすまでになったということで

す。誤解があると困りますから説明しますが、精神的疾患があれば事件をおこしても不思議じゃない、

驚きはしなかっただろうという意味ではありません。精神的疾患と犯罪に相関関係はないばかりか、

こころを病まない人の犯罪のほうが、世の中にははるかに多いのです。わたしの場合は、精神科医の

さがとして、わずか14年間の少年のこころにどんな心の変化があったのだろう、それに関心を持った

のです。

そのとき強く思ったのは、わたしたち戦後のおとなの子育てが、どこか間違ってきているのではないか

。わたしたちが何か大切なものを見失い、子育てにそれが影響しているのではないか。そんな危惧を

抱くようになったのは、精神科医としての自然の流れでした。

「このごろの若い子は。。。」と言いがちですが、子供たちは変わっていません。生まれたときは真っ白

です。どの赤ちゃんも、気質こそみんなそれぞれに違いますが、心は真っ白でまっさらであることに

今も昔もなんら変わりはありません。

でも大人が自分を見失ったり、忙しさにかまけて大切なことを捨ててしまったりしているために

子供への対応にすこしづつ変化が起きているのです。

さて、その後もこれでもかこれでもかというほど、少年少女による、考えられないような殺人事件が

起き続けています。

最近一番驚いたのは、父親と一緒にカレーライスを作って、楽しそうに食べたその夜に、就寝中の

父親を刺し殺した少女の事件でした。その前日に試験をボイコットして無断で休んだという以外、

母親にも周囲にも、何ひとつこころの変化を気づかせていないこと。また少女自身が「自分でも何を

したかわからない」と供述していることです。

こころの中は見えないものであるとはいえ、ここまで見えないのがこころだとしたら、やはりこころの

問題を誰もが真剣に考える時期にきているのではないかと思うのです。

 ずっと、人のこころを仕事の対象にしてきた私が、この20年来の変化を「こわい」と感じます。

37年前に、内因性の精神疾患だけを治療の対象にしてきた私が、今ではほとんどの患者さんが

ごく普通の人です。見かけは普通だけど、実は。。。。とかいうレベルの「普通」ではなく、本当に

「普通」。ほんのちょっと前まで、親の自慢の子であったり、数十年の人生を何のとどこおりもなく生きぬ

いてきた人であったり、という意味の「普通」です。

それが精神科医のわたしだったとしても、決して笑えない話としてあり得るというのが今の時代だと

思います。

大袈裟に言うつもりも、おどかすつもりもありませんが、診療を通してまた、いろんな事件を通して

そんなことを考えるのです。

こころの病気とはいったい何でしょうか、という話がこんな風になりました。

まとめると、こころの病気とは、これほど実態が不透明なものもないということ。また「私には、わが家

には関係ない」と言い切れるものでは今やないということ。そして時代によって変わるものである

らしいこと。

現代では「心の健康な子を育てる」とか「一生を精神的に健康に送る」ということがどの人いとっても

人生の大きな課題として立ちはだかっていて、その傾向はますます強くなるかもしれないということを

まずわかっていただきたいと思います。

こころの病と向き合うために・1

こころの病気とはいったい何でしょうか。精神科の教科書は変わっていないのに、精神科にやってくる人たちの

病気の様子が、この何十年ですっかり見違えるように変わってきたことについて、まずお話ししたいと思います。

わたしが精神科医になったのは、昭和46年、今から37年も前のことです。その頃、精神科の病気といえば

精神分裂病のことと言ってもいいくらいでした。この疾患、今では統合失調症と呼ばれるようになったことは

みなさんもご存知だと思います。

わたしは、この統合失調症という病気の治療に、20年、専念していました。この病気は100人ちょっとでひとりが

かかる病気です。100人というと、学校の2クラスから3クラスにひとり。とても珍しいというわけでもなく、かと

いって決して多いわけでもない、特殊な病気でしょうか。その頃、治りにくい、社会で生活するのがむずかしい、

どちらかといえば社会から隔離しておいたほうがいいというわけで、精神病院というのは、総合病院からも離れ、

どこか辺鄙な場所にひっそりと建っていることが多かったように思います。精神科医という仕事も、そういう辺鄙

なところで、ひっそりと仕事している人たちでした。

ところが今では、一生の間に精神科にかかる人は、なんと4人にひとりだと言われています。100人にひとり

だったのが、100人に25人、なんと24人も増えてしまったんです。その間に、何が起きたのでしょうか。

どんな風に変化したのでしょうか。わたしが診療の第一線で肌で感じてきたこの変化を、この間に社会で起きた

事件とからませながら、お話ししたいと思います。

統合失調症の方というのは、「手のかからない聞きわけの良い子供で安心していた」と言われることが多いの

です。そんな方が、親元を離れ社会に出たとたん、その荒波に対応できず、突然混乱して被害妄想や幻聴を

きたす病気です。病気の成り立ちはシンプルですが、「病識」といって、自分のこころが病んでいるということを

認識する力がないことが一番の特徴です。そのため、いったん治療という段には、手ごわい病気のひとつ

なんです。

10年くらいは、その病気の方の入院と外来での治療に専念していました。30数年前のこの時代は、学園紛争を

経験した世代が若くて働きざかりでしたので、どの業界も元気いっぱいだった気がしますが、精神科もそうでした。

またわたしは、どちらかというと型やぶりな医者でしたので、精神病院を開放しようという運動をおこして、鍵を

つぎつぎにとりはらったり、引きこもっている方には、積極的に往診もしました。入院中の患者さんを診るだけでなく、

精神科医の大事な仕事のひとつが往診であったり、外泊中の家庭訪問であったり、患者さんが就職した先を職場

訪問だったりしました。患者さんだけでなく、家族の相談にも積極的に応じていました。診察室という狭い空間を出て

家族や社会の中の患者さんを総合的に看るというのが、わたしが勤めていた病院の方針でした。

ところが、20数年前から、それまで診たことのなかった症状の患者さんが出現してくるようになりました。 

幻覚や妄想はない。口も達者だったり、社会でもそれなりにやれているのだけど、一方で家族に暴力をふるったり、

リストカットを繰り返したり、自殺予告の電話をかけてきて治療者を戸惑わせたりして、神経症の患者さんにはあり得ない

はげしい症状をあらわす患者さんたちです。これは境界例精神病という人格障害の一群だということが次第にわかって

きました。別名・ボーダーラインというので、みなさんの中にも聞き覚えがあるかもしれません。境界例の境界という意味は

統合失調症ほど自我の弱い精神病でもなく、かといって神経症よりは重い。そのふたつの境界に存在するという意味です。

はげしい症状をくりかえす、そういう患者さんたちの治療の右往左往してまた10年ほどたったころ、つまり平成になった

ころから、神経症圏の患者さんが増えてくるようになりました。不安神経症であるとか、強迫神経症であるとか、うつ状態で

あるとか、あまり精神病的な要素がなく、学校や会社に行ってはいるのだけど、何かしら悩ましい、困った症状があって

精神科に来る方たち。ごく普通の会社員であったり、学生であったり、主婦であったりする方たちが目立つようになり

次第に増えてきて、大半をそういう人たちが占めるようになりました。

その時期を同じくして、わたしも「社会復帰しよう」という気持ちになってきました。

社会で働いているわたしが「社会復帰」というのもヘンかもしれませんが、自分としては、重症の統合失調症や境界例

精神病の患者さんを相手に奮闘して磨いた医者としての腕が、一般社会の、軽いこころの病の方の病気をよくするのに、

どれだけ役たつかためしてみたいと思うようになっていたのです。それをわたしは「わたし自身の社会復帰」と呼んでいて、

この年齢になってから総合病院で働くようになったのも、本を書いたり講演をするにも同じ社会復帰路線の線上の

つもりです。

そういうわけで地方都市の繁華街の一角で神経科クリニックを開業したのは、今から17年ほど前のことでした。

病気

職場の昼休みに、内科の先生に聞いてみました。

昨日、大変だったんです、頭は痛い、おなかはすかない、しんどいし便もドブ掃除したみたいひどいのが出て

一日中寝こんだんです。前の晩にロースト ビーフを作って、美味しい美味しいってわたしばかりがたくさん食べたんです。

ふだんは、あまりお肉を食べないんですが、でも それくらいでこんなに病気になるでしょうか。

私って、すぐダウンしてしまうの。 こんな弱い自分が なさけなく思えるんです。

先生いわく。

 お肉の食べすぎでも、そうなりますよ。

あなたの胃が 受けつけないっていう拒否反応をおこしてくれたんですよ。

健康な反応ですよ。

       ☆      ☆      ☆

えーっ? 昨日のビョーキが 健康な証拠? ちょっとビックリ!

でも、そう言われると、自分のカラダがいとおしく感じられました。

こころの病気も同じなんです。

落ち込みとか、ゆううつとか、不安とかいらいらするとか、怒りとかなどのマイナスの気持ちは閉じ込めて

プラス思考が大事っていいますが、そういうマイナスの気持ちをじっくり味わうことが実はとても大切なんです。

プロの私たちは プラス思考などという言葉を使いません。

どんなにマイナスに見える気持ちも とても大切に扱います。自分のも、相手のも。

なぜそんなことが大事なことなのかについて、わかりやすく話できたらと思います。

心身のバランス

先日の東京行きを、無理をしたわけではないと思うのに、ホテルの乾燥がこたえたのか

 はたまた疲労か。またはリズムが狂ったせいか。

原因はわからないが、10年ぶりの風邪。

風邪といっても熱が出るわけでもなく、寝込むわけでもない、喉が痛くてやや体調不良という程度。

誰も。多分家族も気づかない程度の不調。 

でも、ほら。こちとらは「医療器械」の身だから、少しでも不調なれば 「医療器械」の精度が落ちる。

人はわたしのことを神経質すぎるっていう。

だけど人の話を聞くって健康そのものでないとできない。ちょっとでも不調なときにグズグズ言う人の話は聞けない。

つくづく考えた。

これからも頭はますます冴える。しかしからだは、だんだん衰える。

そのバランスをいかにとるかとの戦いではないだろうか。

キャリアがものいう私の仕事は、だんだん能力が増すのを感じる、しかし体がついていかない。

最後はどうなっていくんだろう。

どうやって舵をとっていくかは 大仕事だと感じる 昨今である。

ああ、仕事的には40歳前後が一番元気で輝いていたなあと思うが ふりかえってもどうしようもない。

体で勝負できない今は 知能で勝負しなければ。

吉田脩二先生と会って

「なぜこころは病むか」などの著書がたくさんあり、ごく最近では「ヒトとサルの間」という本を出された

精神科医の大先輩、吉田脩二先生とは、大阪で知りあった。

その後、お互いに大阪を経て、偶然同じ土地に住むという奇遇。今日は診察中に突然会いに来てくだ

さった。10年前に大阪で知りあって以来、今日で3回目。

会って握手をした後、わたしを見て「君は年齢不相応の元気さだね」とおっしゃった。

「年齢不詳の若さだね」ならうれしいが、年齢不相応の元気さだね、と言われ複雑だった。

たしかに私が仕事に向かうときのエネルギーは 年をとっても衰えることがない。

たしかに仕事中はとても元気だ。

ところがその元気さは、 仕事をしてない時間の養生に支えられていることを誰も知らない。

 仕事をしていない時間をとても大切にしていて、エネルギーが減らないように気を配っている。

どうしたらエネルギーが減らず、たまっていくかも知っている。

たとえば、ふだん人とはほとんど会わないし、むやみに出かけない。

人を診察する今の仕事を大事にしたいと思ったら、それはやむを得ないことだ。

あちこち遊びまわったり旅行をしている人は元気に見えるが、そんな人も、いつもいつも元気なわけで

はない。

要は、エネルギーをどこに集中するか、どうやって集中するか、何に価値をおくかの問題だ。

元気な人と会うと「元気をもらった」というが、元気な人と会うから元気をもらえるわけではない。

むしろ エネルギーを吸いとられることのほうが多いと思う。

そのとき元気になったように思うのは、自分の中でよどんでいたエネルギーの動きがよくなるからだ。

エネルギーをためること、流れをよくすること、それを価値あることに使うこと。

それをお勧めしたい。

都はるみのご主人のこと

都はるみと事実婚をしていた音楽プロヂューサーの男性が、自死されたと新聞にでていたのは一ケ月

ほど前のことだ。都はるみとその夫は、私と同じ時代を駆け抜けてきた全共闘世代だ。都はるみが「普

 通のおばさんになりたい」と宣言して引退したのは、もう24年も前のことだ。子供を産み、家庭を守る女

性のことを「普通のおばさん」と呼んだことから、普通のおばさんたちから ひんしゅくを買った。しかし仕

事を持つ女性の気持ちとして、十分に理解できた。

さて昨日のこと、婦人公論に ふたりと親交のあった人が寄稿しているのを目にしたので読んだ。彼が亡くなった4月

初旬のその夜、はるみさんは広島で公演だった。彼はといえば、薄曇りの東京で、親しい音楽関係者と

酒を飲んでいた。酒場を出たとき、気温は13度。心地良い微風を吹いていた夜の街を彼はまっすぐ自

宅マンションに帰った。彼は最近沈みがちだったというが、その夜は妙に明るかったという。一種の高揚

状態にあったのだろうか。

自宅マンションに帰ってからも、行動は冷静。一週間くらい前から本を整理していたらしいが、その夜は

はるみさんとの想い出のつまったアルバムを眺めていたらしい。

亡くなったあと、都はるみがメッセージを出したという、「思い当たることがなく、事故死なのではないかと

思わざるを得ないほどです」という内容だった。

30年もの長い間、夫婦同様、いや夫婦より濃い愛情関係にあったろいう「妻」が思い当たることがないと

いう。もちろん悩みがあったこと、悩みは相当深いことくらいは想像できただろう。しかしそれが死ぬほど

のものとは思わなかったという意味だとわたしは解釈した。

この話を聞いてわたしが思ったこと。それは彼は「うつ病にかかっていたのではないか」ということだ。う

つ病は、これほど身近な人にとってもわかりにくい。身近であればあるほどわかりにくい場合があるし、

身近でないとそれはそれなりに又わかりにくいところがある。

精神科医が診断したらわかると思うが、精神科医だって、診察室にやってきたから診断するのである。

自分が「うつ病」になったり家族がなっていても 案外「灯台もと暗し」なのが こころの病気。

やはり地道ではあっても「啓蒙あるのみ」だという気がする。 特に人と関わる職業の人くらいは「うつ病

かも?」とわかっていたらどんなにたくさんの人が救われるだろう。

亡くなった中村氏は音楽的才能に恵まれ、理論派であるのにエネルギッシュで激情的な人だったらし

い。「全共闘に関わりながら、結局おれは逃げたことになる。いまだ負い目を感じている」と語っていたこ

とからわかるように、純粋で自分に厳しい人だ。そんな人は生き辛さを抱いていることが多い。

最近酒量が増えていたこと。杯を重ねるほどにはるみさんに対していい募る傾向があったこと。またここ

数年特に酒量が増え、毎晩飲んでは自棄的になっていたこと。

酒から「うつ」がきたか、酒が「うつ」を悪化させたかは定かではない。しかし、酒はしばしば心の病気を

悪化させる。

前にも書いたが、うつ病の人は自分をうつ病だと思っていず、自分を責め、自分の殻に閉じこもる傾向

がある。本人が訴えないので まわりにもわかりにく。そのことをわかっていてほしい。

じゃあ どうすればいいかについてはまたす少しづつ書いていきたい。

「うつ」が増えている。

職場を総合病院に変えて半年余りになる。ベッド数が500以上もある大きな病院

だ。そんな病院の精神科外来を担当していると、昨日まで極く普通の社会生活をして

いた人 が、精神科に回されてくる。

わたしはふたつの病院で週に2回、新患外来を受けもっている。外来は予約制で一日

人しか予約をとらないという贅沢な診療形態なので、半年で新しく診た患者数は、

だいたい60人くらいだろうか。

統計をとったわけではないが、その中で、うつ病を疑われてきた人は3割くらい。

3割のうち、診察の結果、「うつ」ではない人も多いのだが、たしかに「うつ状態

だ」と診断した人も多く、10人あまりが、「うつ」と診断され、治療を施した。

「うつ」が増えているという報告があることは知っているが、実際自分の感触として

「増えている」と感じる。そして「うつ」はこわい病気である。「心の風邪」なん

かじゃない。

私が新患として診た10人あまりの患者さんのうち、すでに2人が亡くなっている。

ょっとすると癌より死亡率が高いのじゃないかと思うくらいである。転地されたり

転医されたあと、亡くなったことを知ったのだが、ずっと私が診ていたとしても自信

がない。それほど「うつ」というのは、見逃しやすくこわい病気だ。 

わたしは若いころから、うつ病の診断が一番むつかしいと感じていた。インターネッ

トが発達するようになって、うつ病の診断がマークシートで出来るなど書いてある

と、「そんなの出来るわけがない」と思っていた。 しかし最近、やっぱり「うつ」の

診断はむつかしいのが本当だと思う。「うつ」の診断と治療ができてやっと一人前の

精神科医だとすれば、一人前の医師はさぞかし少ないことだろう。総合病院という現

場の第一線に立って、ますますそう思うようになった。 

総合病院というのは、あらゆる病気のルツボ。ルツボの中から、精神的な病気の有無

見つけ出していくのは今までになかった経験。大変だけどおもしろい経験だ。心の

病気が、ここまで身近なものだということをあらためて認識した私としては、「う

つ」に対する関心が今まで以上に強い。雨の今日は、一日図書館で過ごした。買って

おいた本を読んだり、週刊誌に目を通したり、こ原稿も図書館で書いた。

せっかく休みを多くしたのに、なんだかだと仕事のことを考えているなあと思うのだ

が、精神科医というのは、大変だけど得がたい経験なので、できるなら 現場をやる

だけでなく、病気のことをなんとかわかりやすい言葉で伝えていきたいと苦心してい

る。

 (ワードで書いたものをコピーして張り付けたら、こんな間のびのした原稿になってしまった。直しようがなくすみません)

うつ病について② その本質

うつ病はこころの病気であると長らく言われてきた。しかし最近では、脳の中の伝達物質の減少から起きる脳の病気であると言われるようになった。

でも、これはどちらでもいいことである。脳の変化が関係して、こころに病的な変化があらわれる病気である。、そうであれば、こころの病気であっても脳の病気であっても言い方の違いだけである。伝達物質の減少は、原因なのか結果なのか、本当のところはまだわかっていない。

しかし、精神医学的に言うと うつ病は、精神的エネルギーが枯渇した状態である。

たとえば、すごくショックで悲しいことがおきた場合、つぎのようなことが起きる。

ねむれない。食べれない。何もやる気がしない。ショックで将来に自信が持てない。不安でいらいらする。自分のせいだ、と 罪悪感にさいなまれる。一日寝てばかりいる、でも考えがまとまらない。悲しい。憂うつである、などなど。

こんな場合、うつ病尺度を測ると 「うつ病」になる。

でも 医師は うつ病とは診断しない。悲しむエネルギーがある、つまりエネルギーは枯渇していないと判断するから。

しかし、62才の男性が 妻に連れられて病院に来た。男性は生気なく、無口。訴えることもあまりない。ねむれますか? との問いにも「さあ・・・」と首をかしげる程度。

妻によると、一年前に定年退職したあと、生活のため再就職するといって、ハローワークに通っていた。やっと再就職した先は肉体労働で、きついきついといいながらもがんばっていた。ところがここ一、二ケ月前から なんとなく元気がない。よくねむれていないみたい。時々ぼーっとしている。前よりグチっぽくなった・・・・・など。心配で連れてきたと。

こんな場合、もちろん丁寧に診察をしないと診断はできないけれど、うつ病をまず疑うことになる。エネルギーが枯れている状態である可能性があるから。

うつ病が、エネルギー枯渇の状態からくることは、精神科医の中では自明のことであるが、一般にはあまり知られていない。

うつ病の診断がむつかしいこと。また どんな病気でも 軽い うつ のような状態はつきものなので 「うつです」と 言うと説明しやすい。納得してもらえる。ことなどから うつ病という病名が蔓延する。

しかし、自分で「うつ病です」という人の大半が うつ病ではない。「今日はうつがひどい。会社にいけない。家事ができない」と さわぐ人の大半は うつ ではない。

なぜか。

うつ病になると そもそもさわぐ元気が出てこない。さわげるだけのエネルギーがない。また「今日は元気。明日はうつ」というような器用な使いわけができない。うつ の渦中にいると、自分で自分の顔が見えないように、うつ であることを自覚しにくい。元気のない自分が 普通だと思い、だから 元気の出ない自分が悪いと信じているから 誰も責めないし訴えることもないまま 閉じこもりがちになってしまう。

なので初発の時は、周囲の者が気づいてやるしかない場合も多い。

エネルギーが非常に低下し、そのことを本人は気づかず、自分を過小評価して苦しむ。

そんな病気が うつ病の本質。

うつ病は エネルギーの問題であるから、5年も10年もうつ病が続くこともない。

同じエネルギーの状態を維持するほどむつかしいことはない。2年もすれば低下しすぎて重症になるか、自然に治ってしまうかどちらか。

うつ病だといわれて2年以上、同じ病院で同じ治療を受けている人がいたら、それは うつ病ではない。エネルギーの低下によるものではなく、エネルギーの使い方に問題があるか、環境への適応に問題があるか、だ。

余談だけど、エネルギーの低下= 心が弱っている とも 違う。

「心が弱った状態」 とは 「自我」が関係してくる。

でも うつ病は 純粋に エネルギーが低下した状態。自我は健康なんです。健康な自我の持ち主であっても、エネルギーが低下すれば 誰にでも起きる。(そういう意味で うつは こころの風邪 と呼ばれるようになったのかもしれない)

むしろ 健康的なことが自慢であったりする元気な人のほうが うつを発症しやすい。それは健康で頑張りやの自分をついつい過信するからかもしれない。また体が頑健なので ついつい頑張れる。体はがんばれるから頑張るけど、知らず知らずに精神的エネルギーは枯渇している。そんな人が うつを発症しやすい。

じゃあ 年よりは体が弱るから うつにはなりにくいか、って? 

ところがどっこい。年をとると 精神的エネルギーが減ってきている。でも最近は 年とっても若々しく元気でないといけない、みたいな風潮があるので 自分のエネルギーの減少を自覚しない年よりが多くて、年とった人の うつ病、とても多い!

さて、うつ病にかかってしまうと 自覚しにくいと話したが、だからこそ、健康なときに 心のエネルギーについて考えておくことが大事だと思う。

そんなこと考える必要もない、という自信のある人は 周囲の誰かのために。

そして ついつい頑張りやのあなたや これから塾年、老年を迎えるあなたは自分のために。

こころのエネルギーのことについて その話に耳を傾けてください。

               ☆    ☆    ☆

さて、すごい頑張りやを自称するわたし。でも うつ病にはなったことないんです。

なぜかっていうと、体が弱い。 あっという間に グター となっちゃうんです。

体がこんなに弱くなかったら とっくに うつ になっていたかも、って思う。

うつにならないかわり 自律神経はやられます。

病気になる人は うつ病タイプと 自律神経失調タイプに分かれます。

あなたはどっち?

 

うつ病について① 診断のむつかしさ

うつ病は、こころの風邪と言われている。誰でもかかりうる病気という意味で「風邪」と言ったのだろうけど、「風邪」という言葉は、うつ病の本質からはかけ離れた言葉であって、あまり適切ではない。

風邪というにふさわしい心の状態は、「精神的に疲れたわ。もうグッタリ」とか「落ち込んでしまった」という状態。風邪と肺炎が 喉や気管に関係するけど、病気は別物であるように、「精神的に疲れた」「落ち込んだ」「滅入ってしまう」という状態と「うつ」とは、似て 非なるものだ。風邪と 肺炎にたとえるとわかってもらえるかもしれない。

うつ病の診断は 専門家でも むつかしい。

インターネットや新聞などに、「ねむれない」「食べ物が美味しくない」など 項目が並んでて、いくつ以上あてはまったら うつ病の可能性があります、などと 書いてある。が、しかし、診断はそんなにカンタンではない。

なぜかというと 主観的な睡眠障害とか食欲不振とか 気分の落ち込みとかが 客観的に見るのと違うからだ。

では、医師が客観的に見れば、すぐにわかるかというと、これまた カンタンではない。診断の中で うつ病がもっともむつかしく感じる。なぜだろう。 

こころの診断は すべて患者の 自己申告をもとに診断される。患者さん本人から聞き出せなかったら、診断が出来ない。 そして うつ病は、患者さんの自己申告と 客観的事実とが もっともかけ離れている病態なのかもしれない。

幻覚や妄想をきたすなんてことはほとんどない。しかし「気分が滅入る」「「落ち込む」「やる気が出ない」「ご飯が美味しくない」「ぐっすりねむれない」なんていう症状は、誰にでも起きる。それこそ 風邪とおなじくらいの頻度で 起きる。 あまりにもしばしば起きる症状だから かえって判別がむつかしいのかもしれない。

いずれにしろ、熟練した専門家でも うつ病を見逃すことがある。うつ病の診断はカンタンです、などと考える精神科医がいたとしたら、それは 丁寧な診察を心がけていない いい加減な医師だと思う。

その証拠に、精神科にかかっていなかったから 自殺に至ってしまった うつ病の方の数と、精神科にかかっていたけど 自殺に至った患者さんの数は、どちらが多いと決して言えない。

わたしも毎日、うつ病の診断と治療に細心の注意を払い、石橋をたたくように診療している。診断や治療を間違うと、死に直結してしまうので、神経を尖らせている。

これほどむつかしい「うつ病」の診断ではあるが、コツを学べば、素人でもある程度診断がつく。

というより、自分のこころの状態を見る、という習慣を普段からつけておくことが大切だ。

「わたしは大丈夫」という人が多い。だけど 強いだけの人はいない。弱いだけの人もいない。

というより、強いだけの人はもろいはず。しなやかな刃がねのように、強かったり、弱みを見せたり、ダウンして へこたれたり、がんばってみたけど出来なくてあきらめたり。いろんな自分をもっていて、自覚して。。。という人のほうが、強いだけの人より はるかに強い。

だれもが、そこのところをわかっていない。うつ病になんかなりたくない。ならない、と誰も思う。

でも一度くらい うつ病になった人のほうが 強いのだ。自分の限界を知っているから。引き返す勇気を持てるから。

というわけで、うつ病について もうちょっと ふみこんで書いてみたい。

ココロとカラダの処方箋~~散歩

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わたしは、からだを動かすことが大きらい。

良く言えば書斎派、悪くいえば 怠け者です。

最近、「頭と心と体」をバランスよく使わないと、人間はだめになるという持論を展開しているので

自分でもやむなく、散歩を始めることにしました。

20分から始め、30分、40分とのばしていますが、今日は 野菜直売所まで

登り道を50分も歩きました。坂道って きついですね。

人っ子ひとり出会わない林の道。

帰りに、あと一歩で家、というところで バテテしまいました。

知り合いが車で通りかかり、かろうじて救助されました。

         ☆     ☆    ☆

心が弱っているときやうつ病の治療に一番効くのが、散歩です。

体とこころに同時に効くので、お勧めです。安あがりだし。