私のある一日

週で一番忙しい日がある。

8時半前に出勤。8時45分から12時半まで、患者さんを2~30人診察。

昼食をとって休み、午後は病棟まわりをするのだが、総合病院の対診依頼なので

知らない病棟の知らない患者さんを数人診察する。これが結構気疲れするのだ。

3時からまた外来患者さんを5~10人診て、あとは職員の相談にのったり

書類を書いたりする。

パートなので 仕事さえすめば 5時に帰れる。必至でこなして5時すぎに帰る。

         ☆      ☆      ☆

心臓病をもっている私は、このハードな日、からだがもたないので 朝、安定剤を

服用することにした。

症状に変わりばえのない お年よりを診る時間は すこし頭をぼーっとさせておかないと

夕方まで エネルギーが続かないからだ。

それをするようになって なんとか 夕方になっても 疲れが残らないようになった。

ところが ずーっと私についてくれる看護師さんは「最近 元気がない」という。

安定剤で ハイテンションをおさえているのが、「疲れている」ように見えるらしい。

私の仕事ぶりを一日見ている看護師さんでも 他人の疲れはわからないのだと

不思議な感慨に襲われた。

仕事と家事に追われた妻を目の前に毎日見ていても、殿方たちは 本当には

妻の大変さがわかっていないことが多い。それと同じだ。

最近、ハードさを訴え、過労死するかもしれないので 改善してほしいと訴えたら

院長から「過労死する前に、やめてほしい」と言われたという医師の話を聞き、

どこかの偉い大臣が「過労死は自己責任だ」とまで言う気は、もうとうないにしても

ある程度、自分で守ることも必要だと思う。

メンタル ヘルスに関心があり、この秋、3つばかり 講演の予定がある。

私のライフスタイル

私のライフ スタイルは、「ライフスタイルがない」のが特徴だ。

相手に合わせ、状況に合わせ、趣味でも食べ物でも変えてしまえるので

かって子供たちから「カメレオン」というあだ名をつけられていた。

第一、食べ物の好き嫌いは、まったくない。本当に何ひとつない。

私が食べれないものを見つけたら賞金を出すと常々言っている。

わたしが50歳を過ぎて再婚し、田舎の暮らしに簡単に適応しているのは、そのいい加減さのせい。

エッセイストや風流な人が「わたしのライフ スタイル」などと 素敵なエッセイを

書いているのを読むのは楽しいが、わたしにはあり得ない。

自分で「素敵」といっていた暮らしが、一ケ月後には正反対のことを言っているだろう。

さて、前置きが長くなった。

私は一生の間、朝起きが悪く、7時以前には起きたことがない。

起きれたこともない。本当に一度もない。起きれない。

ところが、最近妹の出勤が 朝は5時前に起きて、6時過ぎに出るという。

朝早く、ひとりで出て行く妹を見送ってやりたいという 優しい気持ちも少しはあるが、

またまた、ライフ スタイルを 変えてみたくなった。

わたしはどうも「守る」とうより「変える」ということが 心底あっているのだ。

そしてもうひとつ。

ころんでも、ただでは起きない性分もある。

突然妹と猫が飛びこんできた 三人暮らしは はたから見れば何かと大変かもしれない。

だけど、どんな状況でも 見事に楽しんでしまう能力が身についている。

なんだか楽しくて ハイ テンションになっているものだから

突然 朝は 5時半に起きれてしまった。

でも 昨日も今日も、病院に遅刻した。

どうしてこんなに早く起きているのに 遅刻だけは いつも通りやらかしてしまうのか。

自分のいい加減な性格が 不思議といえば不思議だ。

小心で几帳面な人なら私と、一週間と一緒には暮せないだろう。ふりまわされて。

でももし太っ腹な人なら、なんておもしろくて飽きない女性なんだと思うことだろう。

できるだけ相手を驚かせないように、わたしなりに用心はしているけどね。

実験的共同生活④

わたしたちは実はまだ新婚です。仲の良い夫婦です。

その間に 夫の妹がはいりこんでくるなんて、と 最初は思いました。

でも どんなに仲の良い夫婦でも、毎日 相手の目を見つめあって暮らしているわけではありません。

手を携えてはいますが、見ている方向は 相手の目じゃなくて 前方です。

夫にも夢がある、やりたいことがある。わたしにも夢がある、やりたいことがある。

結婚生活は目的ではなくて 手段なんです、お互いの人生をより充実させるための。

だから、結婚生活って 愛情生活というより共同生活。誰がそこに入りこんでも

お互いが精神的に自立しているかぎり、邪魔にならないばかりか より楽しくなるはず。

親から自立できない息子や娘が アパート代を払うのがもったいなくて あるいは食事つくりが面倒で

パラサイトしているのとは 根本的に違います。

すでに 子供を育てあげた私たちの生きる方法は これから たくさん選択肢が出てくると思う。

一ケ月前には 夢にさえ想像しなかった おとな三人の実験的共同生活は 今 始まったばかりです。

どんなに仕事が忙しくても 美味しい料理の食べたい私は わたしと妹と夫で 協力しながら素敵な暮らしを

作っていくと思います。夫婦ふたりも静かでいいけど 多いのも刺激があって楽しい。

もっとも実験だから 失敗したら 解散するわ。

実験的共同生活③

昔からずっと思っていました。健康で働きざかりの人の給料が安過ぎます。

94歳で亡くなった父は、普通の公務員でしたが、年給はなんと月29万円いただいていました。

34年間にいただいた年金は 億単位ですよ。不公平すぎません?

今、公務員だったり大きな会社に勤めていたたくさんのお年よりが、今月20万円以上の年金をいただいているのでは

ないでしょうか。

一方、大学を出たばかりの人の初任給が20万にならないところが大半です。現役の人の給料が安過ぎる。

大きな会社に勤めていた方が亡くなって、その奥さんにいく遺族年金が、身を粉にして働くおばさんたちの賃金より

高いってことは ざらにあると思います。

今の制度は 同じ会社に長く勤めた会社員とその妻が有利なように作られている制度です。

給料の高い医者の私は職場を変わったり、開業したりしているので、今年金をいただくと 月10万円なんです。

うそではありません。

何よりおかしいのは、夫が亡くなったら妻に遺族年金がいきますが、妻が亡くなった場合、夫には遺族年金が

いきません。今私が亡くなっても 月5万ほどの遺族年金さえ 夫は受けとれないのです。

男性は会社に勤めなさい、女性は奥さんでいなさい、といって作られた制度だからです。

一生働かなくても暮らしていける女性がいる一方で、私の妹も私も 働き続けなければ暮らしていけません。

わたしたちの人生設計が悪かったのでしょうか。

高い給料をいただく会社員と結婚しなかった私たちのせいでしょうか。

多分、そうでしょうね。

そうやって生きることのほうが 楽できるなんて 夢にも考えてなんかいなかったから。

だったら、助けあおうじゃないの。

一緒に働いて、一緒に料理をつくりあって、さいわい広いわが家を分けあって、助けあって暮らしていこうじゃないの。

きっと楽しいよ。

それがわたしの提案でした。

実験的共同生活②

姉妹のいなかった私は、再婚した夫に妹がいて、近くに住んでいると知り、うれしくてかなりモーションをかけていました。

一回り以上も年の違う妹はどう思っていたかしらないけど、でもけっこう仲良くしていました。

今回、妹が東京に行くことになり、さびしい思いをしましたが、喜んで送りだしました。

それが、三週間もしないうちに、出戻ってきたんです。

同居してしばらくは疲れました。だけど次第に、「同居ってなんだか楽しいぞ」と思うようになってきたのです。

妹と私は性格が」正反対。

社会的にはしっかり者で現実的でデキパキしているけど、家では「抜けすぎている」わたし。

社会的には本当にたよりなくて、一文なしになり、家も仕事もなくしてきたような妹は 家庭的には

料理も上手で優しくて、その日一日を楽しく暮らす天才です。

同居が楽しいと思い始めながらも、当然ですが同時に仕事や家をさがし始めました。

妹は働き者なので、当然調理師の資格を生かして、仕事ができると思っていましたが、

キャリアは認められず、どこも派遣社員、時給は安く、現実の社会がいかに厳しいか、

本当に思い知らされる毎日でした。

わたしは俄然 腹がたってきました。

男性社会のまっただ中で、仕事と家事を両立して働き続けるわたしと、時給を安くたたかれる妹は、

同じ立場の同志ではないかと思い始めたのです。

わたしは言いました。

あなたを追い出すわけにいかないわ。助けあわない? あなたの苦労と私の苦労はきっと同じものよ。

実験的共同生活①

子供たちもすっかり成長して大学に行き、ひとり暮らしとなった夫の妹が再婚しました。

家も処分し、すっかりシンプルになって東京へ。

ところが事情があって、再婚に失敗。

帰る家もなく、兄夫婦であるわたしたちが「帰っておいで」といって出戻ってきたのが一ケ月前。

それ以来、中年夫婦であるわたしたちと 妹と猫の暮らしが始まりました。

妹には当然仕事をさがし、さっさと出ていってもらう予定でした。

ところが、キャリアのある調理師である妹でも、仕事がなかなかないんですよ。

あっても、給料が安い。とてもじゃないけど アパートを借りて満足な暮らしのできる給料ではない。

妹の子供たちは、母親が苦労して育てたのでとっても、いい子。ふたりとも母親には一銭の援助も受けずに

東京で学生生活を送っている。母親も子供に負けず自立したいところだけど、中年女性のひとり暮らしはいま、とても大変な時代です。

時給800円とかの世界です。暮らしていけます?

妹が必死で仕事をさがし、面接を受けている様子や、安い住まいを苦労してさがしている様子を見ているうち、わたしの正義心が 

ムクムクと頭をもたげ始めてきたのです。

世間にいつもどこかで反抗心を持ち、いつも世間の半歩先を歩いてきた私の今回の心の軌跡についてお話しします。

月曜病

長年、月曜病に悩まされてきた。

日曜日の午後あたりからゆううつになり、月曜日は完璧にゆううつ。

火曜日から調子が出て水曜日は元気だけど、疲れてもくる。

その繰り返しだった。

ところが最近、長年の月曜病が治癒してきた。

不思議~

ひとつには週末の過ごし方の質が上がったこと。

どこにも出かけず、本当にゆったりと過ごすようになった。

もうひとつは、好きな職場になったからかもしれない。

しかし 物事はうまい話ばかりではない。

日替わりで大きな病院に行くので、日曜日の午後あたりから不安感に襲われる。

どの職場もすごく大変な職場なので「やれるかしら?」という不安だ。

うつ病の方の自殺企図が一番こわい。

精一杯やったつもりでも、予想の出来ないことがこわい。

突然、心臓が止まるかと思うくらい心配させられてしまう。

でも仕方がない、受けて立たなければ。そんな仕事なのだから。

ジュージツとジューアツのはざまで

医療職は直接 人の役に立つ仕事なので 充実感を感じられる仕事だ。

私の職業も、充実感ナンバー ワン の仕事のひとつではないだろうか。

しかし、精神科で扱わなければいけない患者さんの範囲は増える一方で、

精神医学の範囲を越える人格障害や教育の分野でもある 発達障害の方、

統合失調症の方でさえ、昔のような タイプは少なく、対応がむつかしくなっている。

事件をおこす人たちが精神科領域の病気の人とはかぎらないが、複雑な事件が

多い昨今の社会状況を見れば、人間のこころを扱う精神科の仕事がどんなにか

複雑でむつかしくなってきているかは 想像がつくだろう。

先日、攻撃性とハイテンションをあわせもった 人格障害の方がわたしの外来にみえた。

その対応に ものすごいエネルギーをとられてしまい、わたしはその日はもちろん

翌日に影響するくらいダウンしてしまった。

わたしの仕事は 第一線で戦う兵士のような仕事なので、どんなに大変でも ひとりひとりを

診察し続けるしかない。ものすごい体力仕事だ。

だけど、能力があればあるほど 大変な患者さんをたくさん受け持つことになり、

そしてその診察で多大な精神的エネルギーを吸いとられる今の仕事を 今後も

やり続ける自信がないと感じることがしばしばある。

やりがいや充実感と 重圧感は 神一重。

多くの精神科医が そのはざまで苦しんでいることは 誰も知らないに違いない。

「早期に精神科に」という。「自殺を防ぐために精神科に」という。

しかしふだんの診療で バテバテの精神科医にそれら全部が対応できるわけがない。

そこのところが 知られていない。

精神科にいく前に、自分でしなければいけないことがある。

精神科に行く前に、医療や保健や教育や子育てに関わっている人がまずしなければいけないこともある。

それをしないで「精神科に行ってみれば」と勧めるのは 精神科医を疲弊させ、追いつめることになりかねない。

これだけ強靭なはずのわたしでさえ、やめたくないけど やめるしかないか と思うこともあるのだから。

もっとも、そのことを相談した友人は

「テキトーにやれることも能力のうちよ」と言い、わたしも それもそうかなあ と思い始めているのだが。

その人の能力

大きな病院で、医師になって1~4年の研修医に精神医療を教えている。

どの研修医も生き生きしている。

今日もわたしの診察についた後、廊下でであったら、ちかづいてきて

先生の診察、すごいですね。共感ばかりかと思っていたら けっこうズバズバ言うし、それに対して

患者さんも反応するし、すごいって思いました。先生の背中から後光がさしてるって思いました。

なんて言う。後光 にはマイってしまって 早々にその場を退散した。

どの研修医も 初めてのわたしの診察を見たあと、それなりに感動するらしく 表現豊かに感想を話す。

 ところが ずっと私の診察についている 50歳台のナースに 診察の感想を聞いてみたところ

「う~ン」なんて言っている。

なんのことはない。

わたしの診察がすばらしいのではなく、それを見て感動する心を持っている人たちに感じる能力があるのだ。

だから わたしは 「あなたは優しいね」と言ってくれる人には

「あなたが優しいから わたしの優しい部分が見えるのよ」という。

「素敵ね」といってくれる人には「あなたが素敵だから 私のそういう部分が見えるのよ」と話す。

ところで 私のことを「すごい人だね」と言ってくれる友人は誰もいない。

それもそのはず。 すごい人でなかったら わたしのすごさは見えないわけだ。

だから すごい!と言ってもらおうと思ったら すごい人をさがすしかない。

マ、 しょせんは似たもの同士でしか 友人や夫婦や恋人にはなれないのだから、

「すごい」とまでは言われなくても、相手の美点をほめ 自分の美点も見つけてくれる関係を

自分のまわりにたくさん築いていく者勝ちというわけか。

雨の音

街で何十年もアパートやマンションで暮らしていたときには、雨の音は気にならなかった。

田舎の一軒家に移った8年前。

屋根に落ちる雨の音って、なんてわびしいのだと感じ、雨の日はいつもうっとうしい気分になるのだった。

夫にもよく当たっていた。「街の雨はどこか華やぐのに、田舎の雨はうっとうしい!」とかなんとか。

ところが今日、休日だったので一日ゆっくりしようと思い、昼間ベッドに横たわったいると、雨の音がはげしい。

屋根や木々の葉に落ちる雨の音を聞いていたら、あまりに心地良くて、まるで お母さんのおなかにいるみたいに

落ち着いた。

何年ぶりだろう、こんなに雨の音が心地良いなんて!

ちょっぴり風邪気味だったこの数日。

きっと、からだと心が「ゆっくり休めよ」とささやいていたからだろう。

患者さんがよく「天気の良い日は気分が良いが、雨の日は気分がすぐれません」という。

わたしは「それは健康な証拠。うつのときは、雨の日のほうが落ち着くのよ」と話す。

これは、わたしの持論だ。

今日は、わたしの持論もあながち間違っていないな、と感じた。

一日パジャマを着たまま、何ひとつしない、ぐうたらな一日だったけど、うれしい一日だった。

明日はまた仕事だ。がんばれるだろう。