中学二年生・講演その7(しめくくり)

中学生はもっとむづかしいことを考えているのかもしれません。

だけど、一番伝えたかったことを、ひとことで書きました。

今日のブログは、中学二年生をとっくに過ぎた方も、ぜひ読んでほしいです。

だれにでもわかるように、できるだけ平易に書きました。

「人生、こんなもの」「これでよかった」そんなの言い訳に過ぎませんよ。

そう言わないと救われないからでしょ。

「自分は一体何者?」という青春の問いかけを死ぬまで忘れない人であってください。

さて、「自我の目覚め」と言いますが、「自我」とはいったい何でしょう。

「自分というものを、別の角度から客観的に見つめる力」
とでもいえばいいでしょうか。

お母さんと一体であり、お母さんの喜ぶ「いい子」であることが、
子供自身の喜びであった存在から、
母親とはまったく別の人格になっていくということです。

突然、別の人格に変貌するわけではありませんので、
まったくの別人になる20才を過ぎるころまでの10年は、
親も子も揺れ動き続けるというのが、実態です。

そしてその10年の中で、一番揺れ動きの激しい時期が、中学生であると言えるでしょう。

「自我」ってそんなに大切でしょうか。

大切です。心の核になるものです。

それを使って世の中を渡っていく、もっとも大きな力となるもの。
対人関係の中で、押したり引いたりしながら。
時には自分を主張し、時には我慢して引く。
そのあわわの際を決めるのが「自我」です。
これが強くなかったら、家に引きこもっているしかありません。
「強い人」とは「押したり引いたりを自由自在にできる人のこと」です。

今日は中学生の方だけでなく、ご父兄もたくさん見えていますので、
両方の立場からの話をこれからしたいと思います。

「自我」を育てるために一番わかりやすい話をします。

子供の「ノー!」を大切にするということです。

一番わかりやすく、一番効果のある、自我の育て方です。

人間というものは、どんな立場にあっても、イエスマンでいるのが
もっとも楽なんです。
中学生の時期というのは、もっとも素直に「ノー」と言える時期なんですよ。

そのときの親の反応です。
「またわがままを言って」(せっかく自己を主張してるのに)
「そんなことしていたら、将来どうなるか知らんよ」(脅しですね)
「反抗期だから仕方ないわ」(他ならぬ、あなたに反抗してるっていうの!)

親というものは、それまでにたくさんの経験や失敗をしていますから、
子供の言うこと、なすこと、心配で見てられない。
これが本当ですね。
そこでぐっと我慢できるかどうか。

でも、どうでしょう。もし親の言う通りに従ったとして、
親のいないところで同じ事態に遭遇したとき、どうなりますか。
親の目の前にいる間に失敗を経験させて、
それを糧にしたほうがいいと思いませんか。

親の立場から書いた本があります。
私が数年前に出した

「わが子の気持ちがわからなくなる前に読む本」

と言います。よかったら手にとってみてくださいね。

今日の主役は子供さんですので、子供さんのほうに役立つ話をやっぱり、
したいと思います。

わたしがひとつとても心配していることがあります。

最近の子供たちは、親御さんに大事に育てられていることが多いせいか、
親離れしていくことに罪悪感を抱いている子供が少なからずいます。

小学校3年にもなれば「自分はいったい何者なのか」という
問いかけを自然にするようになると言いましたが、
20才をすぎても、その「自分」を見つけ出せないまま、
「親に悪い」「こんな自分で親に申し訳ない」という子がいます。

そんな心配の必要はまったくありません。

親というものは身勝手なものですから、あなたが親の「いい子」でいるかぎり、
あなたを自分の言う通りになるものと誤解し続けるでしょう。
あなたから離れていかなったら一生離れられません。

親からは手放せない、というのは人間だけらしいですね。

猫を育てている人を知っています。
猫のお母さんは2ケ月くらいは産んだ子猫をなめるようにかわいがるそうです。

しかし2ケ月から3ケ月くらいになると、どうすると思いますか。

近づいてくるわが子にパンチをくらわすそうです。

「甘えてるな。生きていけ。もう生きていける」

そう思っているんでしょうね。

では、お母さんから離れてひとりぽっちになった自分を
助けてくれるものはないのでしょうか。

それはあります。

それが「自分の中にいる、もうひとりの自分」です。

それを「自我」と呼びます。

こんな経験はありませんか。

試験の成績がふるわず、親や教師に顔向けできない。
ああ、どうしよう。
でも一晩も寝たら「どうにか、なるさ。明日は明日の風が吹く。
○○、がんばれ」というもうひとりの自分が出てきた経験。

友達をうまくいかず悩んでしまった自分。
でも「気にしない、気にしない。失ってもどうってことのない友達
だったかもしれないじゃん」
そうやってはげましてくれる、もうひとりの自分。

大人になるということは、そういうことです。

自分の中に、自分をはげましたり、ほめたり、なぐさめたりしてくれる、
もうひとりの自分を持つ、という体験です。

じゃあ、それさえあれば大丈夫でしょうか。
それができなかったらどうしたらいい?

それはね。みんなが支えあって、誰かの「自我」になりあいっこ
できるってことなんです。

尊敬する人をつくる。
心を許せる友達をつくる。
本を読んで知らない世界の人と対話する。
そうやっていくことで「自我」が強化され、
ひとりぽっちではあるけれど、ひとりぽっちで生きていくのとは違う
心強い味方を作ることができます。

そしてその関係は、一生を通じて続いていくもの。
こうこれでいい、という到達点はありません。

若い間に、たくさんの失敗を経験してください。

若い間の経験は、買ってでもせよ、という諺がありますが

これはつくづく真実です。

死ぬ最後の最後まで、失敗をリベンジするチャンスは、
人間に与えられています。

「これで終わり」「こんな失敗、許せない」ということは、
ただの一度もありません。

あ、間違いました。ひとつだけあります。

死んでしまうことです。命だけは大切にしてください。

どんな形であっても、たとえ寝たきりのような病気になってさえ
、生きているかぎり、いろんな経験をしてください。

経験が成功する確率というのは、どんな人も平等。

確率は半々です。

なぜ半々でしょうか。

それはね。失敗してみないと成功しないからです。

一回失敗するとつぎか、つぎのつぎに成功します。

成功が続くとかならず失敗するようにできています。
ですから、失敗と成功の確率は、どんな人も半々なんです。

大きな成功をおさめた人をうらやましいと思いますか。
それはたくさんの失敗をしてきた人です。
失敗は人に見えませんからね。
失敗が大きいほど成功も大きいのですよ。

ですから、あなたの価値観が「すてきな結婚をしたい」という
ことであれば、先に失敗の経験をたくさんしてください。

ふったりふられたり、悲しんだり、後悔したりしてください。
その先にしあわせな結婚生活が待っているでしょう。

仕事で成功したいと思ったら。
一生の仕事を若い間に決めようと思わないでください。
アルバイトでもいいから、いろんな経験をしてください。
苦い経験もした上で、自分には、これが合うな、合いそうだな、
という当たりをつけてください。

お金がためたいと思ったら。そうですね。
若いうちに貧乏な経験をしてください。
貧乏のドン底でお金の大切さを知ってください。

お金持ちで仕事で成功して、すてきな結婚をしたいと思ったら。

冒険の旅に出てください。家から離れ、

自分を世間の荒波にほうりだしてください。

たくさんたくさんの経験と失敗をしてください。
すばらしい人生をいずれ手に入れるでしょう。

成功なんかしなくていい。失敗は嫌だと思ったら?

できるだけ家から離れず、親の言うなりになるか、
親をうまい具合に利用して生きていってください。

でもそれで「生きてきて良かった」と思える人生になりますか。

たくさんの本を読み、いろんな人の話に耳を傾けて、
どんな人生を歩んでみたいか、考えてくださいね。

そしてそれはこれから一生続くものだということも覚えておいてね。

あなた方が羽ばたいていったあと、
お父さんとお母さんは、ふたたび、思春期に戻ります。
わたしの人生はなんぞや。わたしの人生はこれでよかったか。

そして3回目。仕事を退職した後、まだまだ30年つづく人生の始まり
にあたって、人は3回目の思春期を迎えます。
そのころには大半の人が「
「これで良かったのだ。これで良かったのだ。子や孫に囲まれ、
そこそこに生きていく。これでよかったのだ」そう思うのです。
そう思うしか救われる道がないからです。

でも、ここにひとり、まだまだそう思っていない人がいます。
ここで講演している先生です。まだまだ青春まっただ中です。
いろんな人がいるでしょ。参考にしてね。

あなた方の5倍も長く生き、あなた方のような人を何万人も診察してきた。
それも成功した人じゃなく、その人たちが失敗したときに出会った人を
何万人も診てきた私が言うのです。
こころの片隅にとめておいてほしい。

今日の講演で覚えておいてほしいことがひとつだけあるとすれば。

人生はどんなことも気づいたときからやりなおせる。

失敗と成功の確率は半々。失敗をするから成功がある、

ということです。

アフター・クリニック開設のお知らせ

正式会員になると有料になりますが、

事前登録していただいた方に無料でメルマガが配布されます。

そこで十分に考えてから正式登録をしていただけます。

なお、アフタークリニックは健康な方でも有用であるように仕組まれております。

アフタークリニック開設のお知らせ

インターネットで心療相談を始めようと思います。

これまで患者さんともっと長い時間お話をしようとしても、
なかなか時間がとれませんでした。
そこで、治療が終わって社会復帰しようとしている方や
ご家族の方、またこころの悩みを抱いている方々のご相談に
じゅうぶん乗れるよう、
インターネットを使った心療相談室「アフタークリニック」を
開設することにしました。

アフタークリニックでは、ご相談に乗る以外に、

会員さんが日々のくらしをチェックしたり生活記録を付けて

ドクターからコメントをもらったりできます。

会員同士で語り合う掲示板も用意します。

また、こころとからだの問題についてためになる情報を満載したメルマガを

毎週発行する予定です。併せてご利用下さい。

アフタークリニックはもうすぐスタートします。
興味をお持ちになられたら、とりあえず下記より事前登録してみて下さい。
後でご案内を差し上げます。
   http://www.yumeline.com  精神科医小林絢子「くもりのちしあわせ」

尚、正式会員になる場合には有料になりますが、事前登録と事前登録された方に
お送りする最初のメルマガの購読は無料です。
それをご覧になり、正式会員として登録するかどうかゆっくりご検討いただければ
幸いです。

どうぞよろしくおねがいします。

            精神科医   小林絢子

中学二年生・講演・その5

ちょっとひるみましたが、温かいコメントなどをいただき、
そのまま続けました。
まず自分の中で整理するために。

一才をすぎた子供にとって、つぎの課題は排泄です。
ウンチやおしっこをもらさないことはとても大事なことです。
これは筋肉や神経が発達していればいずれ誰でも出来るようになります。
訓練をやらない民族もあるのですが、日本人はかなり神経質にやる民族です。
ただその訓練がどういう風におこなわれたか、
などということを普通は誰も母も子も覚えていないでしょう。

わたしが今話していることはすべて「こころの基礎工事」です。

家を建てるときには地下何メートルまで掘って、どれだけコンクリートを
入れたかなど、基礎工事のやり方で家の丈夫さが決まります。
だけど建ったとたん、基礎工事は見えなくなります。
家にとって一番大切な部分が実は見えない仕組みです。

心もそれととても似ています。

「心の基礎工事」はお母さんによって大部分を幼児の間に行われますが、
誰も覚えていない隠れた部分です。

トイレのしつけひとつとっても、心理的にはとても意味のある行為だと
言われています。

子供のこころは、お母さんをいかに喜ばせるか、そのことに心をくだく
過程が「こころが発達するプロセス」になるよう仕組まれています。

人見知りなどというものも、お母さんを喜ばせることこの上ない行為です。
赤ちゃんはそれを自然にやるなかで、一生懸命子供を育てている
母親を喜ばせ、同時に笑顔が人を喜ばせるという社会性まで
身につけてしまいます。

排泄に関しては、もっとお母さんを喜ばせます。
お母さんとの関係が良好であるなら、お母さんの喜ぶ顔をみたい一心で
がんばって訓練にのぞむでしょう。
お母さんとの関係が良好でないなら、お母さんを困らせたくなります。
失敗すればすればするほど、おかあさんはこまります。 

もちろん赤ちゃんが意識してそのようなことをやるわけではありません。
自然にそうなってしまうのです。

このパターンは、赤ちゃんとお母さんとの関係だけにとどまらず、
対人関係のパターンとして社会の中に入っても
繰り返されるようになります。

人が社会性を持った存在になれるかどうかに関係してきます。
いろんな人との関係の中で自分をさらけ出したり、こころを開けたり。
本来ならさらけ出さないような部分でもさらけだして、一緒に喜んだり、
悲しんだりできるか。

あるいは自分の殻にこもったまま、あまり社会の中で自分をさらけ出す
ことをしない人として生きていくか。

どんな証拠があるんだ、と言われそうですが。

しかし、赤ちゃんを見ていますと、普通で想像する以上に、
赤ちゃんはこころを持っています。

たとえばとてもいい子で育ち、トイレ訓練もスムーズに行った子が
社会性を獲得するのも早いかというと、そうでもないんです。
後々、母親に暴力をふるうようになった子供のケースもありました。

なぜ、というのはわかりませんが、たとえばお母さんの強硬さに負けた。
つまり子供のほうで身を引いた、ということも十分考えられます。
人間というのは、どこかで必ず帳尻を合わせるようになっています。

あるいは「困難をきわめた」という幼児がいました。
困ったお母さんが、あの手この手で工夫したのです。
その工夫した、努力した、という心そのものが子供に伝わって、
結果オーライとなったりします。

人間のこころは尊いのは「結果」ではありません。
どれだけ関わって、どれだけ心をくだいたか、なんです。

そうです、「いい」とか「悪い」とか一面的に見れないのが心です。

そして。赤ちゃんがあの手この手で、お母さんを喜ばせたり
困らせたりする様子は、
わたしたち大人になった人たちも、
日常の暮らしの中で繰り返し使っている
同じ手口なんです。

そうしてこころの基礎工事はこうやってまだまだ続くことになります。

さて、そんなある日、とんでもない事態がおきました。
わが家は夫婦ふたりの暮らしです。
夫は会社に行って働いています。
わたしは家にいて、毎日ご馳走をつくって夫の帰りを今か今かと
待っているのです。

と、ある日のこと。
夫がきれいで若い女性を伴って帰宅したのです。
そして言い放ったのでした。

「今日からこの女性がこの家に住むことになりました。
僕は彼女を愛しているのです。あなたもこの方に優しくしてね」
わたしはびっくり。寝耳に水。
「はい、そうですか、どうぞ、どうぞ」というわけにはいきません。
怒ったり泣いたり大騒ぎとなりました。

弟や妹の生まれた三才の子供も。
こういう人生の悲哀をもはや避け難いものとして体験しているわけです。
その不条理な状況を誰も救うことはできません。
子供が自分で処理するしかないのです。

お父さんとお母さんが喧嘩をしたり。
兄弟喧嘩が始まったり。
いろんなことがあります。

そして「心の基礎工事」に3年。
家を建てて「10年。」
立派なおうちが建ちました。
もう大丈夫かな。

雨もりがしたり、壁がこわれたりはするでしょう。
でも倒れることはないだろう。

そのおうちから、お父さんとお母さん、そろそろ出ていくよ、やれやれ。
それが今の時期。

それが、今のあなた方の置かれた状況です。

早くも「挫折」まあやる前で良かった?

今朝、初めて早朝散歩というものをしました。
意を決するところがあって、朝起きてすぐ出かけたのです。

わが家は観光地にあります。旅館やホテルではなく、
ペンションというものがあります。
そこに修学旅行でやって来た子供たちが散歩していました。

震災があってから、東北地方へ修学旅行に行っていた子供たちが、
信州へやって来るようになったらしいのです。

私は案外人見知りなのですが、思いきって声をかけました。
そうしたら「茨城からやってきた中学二年生」だということです。

三々五々に散歩をする「中学二年生」に釘つけになった私。
からだはもうおっさんやおばさんと変わらないくらい大きかったです。

ひとりひとりを見ればかわいいのでしょう。
色気がまだ出ていないので、集団で見ると
顔も、もう色気の抜けきったおっさんやおばさんと同じです。

でも、やっぱりまだまだ子供ですね。

三回にわたって、自分の考えを講演要旨として書いてきましたが、
子供たちを見たとたん「こりゃ、あかん」と思ってしまいました。

こんな子らが200人塊になって、そしてその親が200人近くも
一緒にいる会場で話すんだ。
これは甘くない。一瞬でそう思いました。

おとなは無理にでも聞いてくれるでしょう。
しかし子供はよほど興味をそそられなかったら聞いてくれないのでは
ないでしょうか。

いまどきの子供だから、教師と父兄がいれば一生懸命に聞いてくれようと
するかもしれません。
しかし、しょせんは面白くもない話をされたら、迷惑です。
かわいそうです。

今日は当直。
当直のおっちゃんに手短に話しました。

「どうしよう。話に具体性がないとだめだよね。恋愛の話なんかはいいんだけどね」

「そうそう、それがいいよ」

「でもね。まだ恋愛って感じの年齢じゃないよね。経験のない話はだめだよ。
いっそ、自分の話をしようかしら。いろいろ人生の道で失敗した話」

「うーん。テレビで知ってる有名人が檀上にいるんなら私生活に興味も
わくと思うけどね。
無名の人の人生なんて中学生が興味持つとは思えんよな」

「そうよねえ。そうだなあ。ああ。どうしよう。いい案が浮かばないんだよね」

ふたりは思案に暮れたのでした。

わたしは、中学生たちに何を伝えたいんだろう。

まず、そこだ。まずそこだ。考えました。

まず、何があっても「死なない子」になってほしい。

死んでしまったらおしまい。けど生きているかぎりなんとかなる。
それがホンネなんだけど、いきなりそれじゃあ重い。

なぜ簡単に死んでしまうかというと、自我が育ちきっていない時期に
悩みを持つと、
客観的に自分を見れなくなるからだ。

そうだ、いかに客観的に自分を見つめることができるか。

自分を見つめることができる大人に育ってほしい。

でもこれって、立派なおとなでさえ、出来てない人のほうが多いくらい
困難な人生のテーマなんですよね。
大人でさえ出来てないことを、中学生に話してもな、と思えました。

大人が聞いても納得のいく話を、中学生でもわかるように話したいのです。

やっぱり家族関係、ともだち関係を例として出しながら、誰もがぶつかる
人生の課題について話すことでしょうか。それしかないと思えました。

いきなり「壁」にぶつかってしまいました。

生の中学生に出会って、本当に良かったです。
ふだん、見ないですもん。中学生の集団になどでくわすことのない山の中に
住んでいるのは、こんな場合にはマイナスです。

講演ってね。むづかしいです。
講演大好きという人の話って案外中身がなかったりします。

同じテーマで数回以上やると上手になってくるのですが。

期日は迫っています。

中学二年生・講演・その3

思いつくままに書きました。
書いているうちに、頭の中がまとまっていくでしょうか。

さて、生まれたばかりの赤ちゃんがそれから一年の間に
どれだけの心の成長を遂げるかという話は、
あまりにもその成長がはげしいので、話しきれません。
そこで、一歳の終わりころ。つまり歩き始めたころのことを取りだして
お話してみましょう。

赤ちゃんは一歳前後で歩き始めるようになります。
ところが大喜びで手足をばたばたさせておぼつかないながらも
歩いていたある日。
赤ちゃんにとって、トンドモナク理解しがたい事態が起きます。
あれだけ歩くことを喜んでいたお母さんが、ある時、すごい形相で
すっとんでくるのです。
もちろん親からすれば赤ちゃんが危険をわからずに歩いていくのを
止めようとして必至で押さえつけただけなんですが、
赤ちゃんにはそれが理解できません。
あんなに歩くことを喜んでくれた親から突然だめだと言われ、

赤ちゃんは大変な矛盾に遭遇することになります。

わたしたちは人生の中で、さまざまな矛盾にぶつかって苦しみます。
赤ちゃんは、(人間は)たった一歳でもう、
その矛盾を体験しなければならないのです。
さあ、大変です、赤ちゃんはどんな風にその矛盾と向き合うのでしょうか。

さあ。みなさんならどうしますか。
ふだんは大好きなはずの友達から突然いじわるな言葉を投げつけられ、
うろたえたことはありませんか。
わたしの友達は一体優しい人なんだろうか。
それとも私にいじわるをしようとしているんだろうか。
どんな風におつきあいしたらいいんだろうか。
そんなことで悩んだことはありませんか。

さて、赤ちゃんはどうするでしょう。

実は、そういった矛盾の体験が、どんな状況のもとでどんな風におこり、
そしてその結果がどんな風に処理されるのか。
このことが赤ちゃんという人間にとって、大きな意味を持ってくることになります。
その矛盾が徹頭徹尾矛盾で終わってしまった場合には、
つまり、納得できないまま、心のしこりとして残ってしまった場合、
成長してから、同じ状況がおきるたびに苦しいなと思うことがおきてきます。

あるいは、

矛盾は矛盾であるけれど、そこに赤ちゃんなりの説明がなされて、

不承不承ではあるけれど、それを納得する方向にいったとすれば、

赤ちゃんにとっては、こころの成長という観点で見た場合に、

ひとつの山を越えたことになります。

矛盾に満ちた社会の中にあって、かならずしも妥協とか、
自分を偽るというわけではなく、
それなりに解釈して周囲とうまく折り合える力を得たことになります。

ちょっとみなさんにとっては難しい話でしょうか。

こんなケースがありました。

その方はもう90才を越えたおじいさんでした。
そのおじいさんが病気になり、余命いくばくもないということで
息子さんをお呼びしました。
でも息子さんはなかなか来てくれませんでした。
息子さんとそのおじいさんはとても折り合いが悪かったのです。

「おやじに幼いとき、叱られた。ものすごい怖い声だった。
形相もすごかった。それ以来ずっとおやじを敬遠してきたように思う
成長したある日、おやじの車のキーがなくなった。
おやじは自分に疑いの目を向けた。
それが決定的となって、それ以降、自分はおやじには心を開くことがなかった、
というのです。

いくつのころのことですか、とお聞きしました。
覚えていない、幼いときです、1歳だっか2歳だったかわからない。
何もわからない時です、おやじの怒った顔の大きさだけを覚えています。
息子さんはそう言いました。

つまり、赤ちゃんにとって、おやじが怒鳴ったという一点が、
どうしても大きくこころにのしかかってしまい、
自分を守ってくれている親と、
自分を叱った親との間で、折り合いがつかないまま、
何十年の歳月が過ぎたのです。

こんな話をしたからといって、そのおじいさんの育て方が
悪かったというつもりはありません。
その息子さんがとても敏感な子であったり、
基本的信頼感を得にくい性格傾向にあったということが考えられます。

人間と人間の関係はすべて、相互の関係ですので、どちらが悪い

ということはあまりないのですよ。

さて、このようにみていくと、生まれてたった一年の間に、
赤ちゃんはいろんな体験をするものだと驚きませんんか。

そしてその体験の内容というのは、実は人間のこころの原型そのものなんです。

ほとんどそのまま、あなた方、思春期を迎えたという子供たちにも
当てはまりますし。
中年をむかえた男性にも、
更年期を迎えた女性にも。
そしておじいちゃん、おばあちゃんになったおじさんやおばさんにも、
当てはまる部分があります。

あるいは少なくとも、おとなの目からみても十分に理解のできる
こころの動きや体験がすでに生まれたときからあって、
それが一生の間、くりかえし出てくるということなのです。

中学二年生・講演から・その2

講演の準備。
中学二年生が、飽きずに聞いてくれるかなあ。
自信ないな。
わかりやすく話すって大変。

さて、生まれてから年老いていくまでの間の、こころの成長、ということ
についてお話ししようと思います。

みなさんは14才ですから、その途中段階にあります。
いわゆる「思春期」という段階です。

この講演を企画した方たちは、あなたがたの年齢に特有の問題やむづかしさが
あるために、この企画をしたのでしょうね。

けれど、私の考えでは、むづかしいのは何もあなたたちの年齢に
かぎったことではありません。

企画した人たち自身が、実は一番むづかしいこころの問題や課題を
乗り越えれなくている人、そのことに気づいてさえいない人かもしれないのです。

こころの問題は生きているかぎりつきまとう、とてもむづかしい問題、

でもまた同時に考えるほどに楽しい課題です。

ただ、唯一言えることがあります。
あなた方の年齢は、お母さんの手から少し離れてある程度自分の力で
変わっていける年齢に達していること。

また、変わっていける速度をカーブで描くとすれば、ものすごい上昇カーブの
時期だということだけです。

そのバランスが、14才以下の人にもマネできない、

15才以上の人にも、マネできない。

おじさんやおばさんにとっては、逆立ちしてもマネできない

特別の時期だ、ということだけなんです。

ですから、中学二年生の人が持っている課題に入る前に、
心というものは一体どうやって成長していくのか、という基本に
たちかえって話したいと思います。

さて。身体の成長が年齢的な段階を追ってなされていくように、
こころも、年齢的な段階を追って発達していくものと考えられています。

まず生まれたばかりの赤ちゃんがわずか生まれて3ケ月ほどの間に、
どんな心の成長と課題があるかについてお話しします。

生まれたばかりの赤ちゃんにとって生まれた環境が、
最高の喜びで満ちあふれているということが、とても大切です。

喜ばれて、待ち望んで生まれてくる、ということが基本的に大事です。

生まれたばかりの赤ちゃんであっても、こころはあります。

周囲の空気を読む力はおとな以上に備わっています。

こころは生まれた瞬間からありますが、まだ「無」です。

さっさらの、真っ白白です。無垢です、みんな同じです。

汚れというものがまったくありません。

そして生まれたその日から発達していくものです。

なので、喜びに満ちあふれた雰囲気がないと、自分を否定されている気分に
なってしまいます。赤ちゃんて想像以上に敏感なのですよ。

そしてそれがその後々の「自己肯定感」や「基本的信頼感」におおいに
かかわってきます。

「自己肯定感」とか「基本的信頼感」というのは、心の機能の中で、

一番大切な、それがなかったら生きていけないくらいの基本の力です。

あとで、もうちょっと詳しく説明しますが、今は言葉だけ覚えておいてくださいね。

さて、あなたが生まれたとき、安心できる環境であったかどうかを
調べる方法があります。

さあ、なんでしょう。

それは写真です。

今日みなさん帰ったら、「ぼくが生まれたときの写真、見せて」って
たのんで見てください。
お母さんやお父さんやおじいさん、おばあさんが本当にうれしそうに
映っていることでしょう。

写真が残ってなかったらどうしましょう。

そのときには、なぜ写真がないの?ってお母さんに尋ねてみてね。
きっとお母さんから納得のいく説明があるでしょう。

もしお母さんのいらっしゃらない方でも、お母さんの代わりになる人
だったら誰でもいいんですよ。

先生は「お母さん」という言葉を今日はたくさん使います。
だけどそれは代表して言っているだけなんです。
あなた方がここまで育ったからには、どなたか育ててくださった方が
いると思うのです。
その方であれば、母親でなくても全然平気です。

施設で育った、という方を何人も知っていますが、みなさんとても立派に
成人されていました。ですから誤解のないようにお願いします。

さて、ゼロ歳児のこころの発達にもっとも影響するのは、
授乳体験だと言われています。

授乳は赤ちゃんの身体をつくるもっとも大切なことですが、実はこころの
発達ということに関しても同じく大切だと言われています。

もし授乳体験というものが赤ちゃんにとっていろんな意味で満足のいく
楽しいものであり、確かなものであると信じられる場合には、

いいお母さんから、

いいおっぱいが出てきて、

それが自分の身体に入って、

いい自分を作るということになります。

そうなれば赤ちゃんは安心して生きていけるし、お母さんのことも、
自分のことも信じることができるようになります。

授乳体験はこうして、楽しくて、待ち遠しくて、
大変身になる性質のものになるでしょう。

しかし、そうではなくて、何らかの理由で、授乳体験が母子双方にとって
あまりいい体験でなかったとすると、赤ちゃんにとっては、

悪いお母さんから、悪いおっぱいが出て、それが自分の身体に入って、
ついには悪い自分をつくることになりかねません。

お母さんを信じるとか、自分を信じるといいました。

これは、おとなになってから「あの人は優しいから信じる」
「あの人はうそをつくから信じられない」といったようなレベルでの
「信じる」ではありません。

理屈抜きに、人間というものは本来信じるにたるものだ、という感覚。

自分というものは生きていくにたる人間だという「自己肯定感」です。

実はこれはこころの働きの中で、一番大切な基本となるこころの働きです。

お母さんがこれこれの性格だから、とかの理由があるわけではなくて、

少なくともおっぱいを信じる。

お母さんの肌のぬくもりを信じる、

乳房を信じる。

お母さんのいたわりのこころを疑うことなく信じる。

そういうことを裏づけるほどの感覚器官の発達は、

生まれてわずか3ケ月でも十分にあります。

そういう基本的な心の働きが、生まれて最初に体験する事柄を通じて

成就されるというのは、不思議といえば不思議、人間の尊さといえば尊さ。

何事もいい方向に考えることができ
人に対して疑い深い目を向けることなく生きていけて、

自分を「生まれてきてよかった」と思えるというのは、

つまりさっき言った「基本的信頼感」「自己肯定感」なのですが、

生まれてまもなく、あっという間にすぎるわずか3ケ月の間に植えつけられる

心の働きだと思えば、本当に驚きますね。

でも、みなさんのほとんど全部の方が、その条件を満たしていると思われます。

それはなぜわかるかと思いますか。

こうやって中学2年生になるまで、とにもかくにも健康で生きてこれた、
という事実です。

みなさんを心配させるために話したのではないのですよ。

これからの長い将来「いい自分」が出てくるばかりではなく
「悪い自分」が出てくる人もいるでしょう。

また「自分は生きていく値打ちがないのではないか」と思うほどに

落ち込む自分が出てくることもあるでしょう。

それは心の働きの仲で何か欠けた部分があるせいだ。

でもそれは決して自分だけが原因ではない、

親や環境だけが悪いのでもない。

あくまでも母と子、親と子。環境と人間という相互関係の中で、

お互いの関係の中で何か栄養が足りなかったんだ。

足りなかったものがわかれば、その栄養を補給すればいいんだ。

そんな風に考えていけばいいのだということだけは、
しっかり頭に刻んでおいてくださいね。

中学二年生への講演から その1

近く、中学二年生を対象に講演をします。
しばらくブログに講演要旨を載せます。
良かったら読んでくださいね。

みなさん こんにちは。
精神科のお医者さんを長~く続けている○○です。
今日はよろしくお願いします。

講演は今までにたくさんやってきましたが、中学生の方をお相手に話すことは
初めてです。そもそも、中学校に足を踏み入れたのは、
わが子が中学生だったころ、つまり20年前以来です。
めずらしくてキョロキョロしています。

なんだかとてもうれしい気持ちですよ。

講演をたくさんやってきました。
大人になった人たちが対象でした。
でもね。大人の人はたいていは次の日になると内容を忘れて
しまうことが多いようです。

大人の人は「忘れん坊」でしょうか。いえいえ、そんなことはありません。
みんな賢い方ばかりです。なのに、なぜ忘れるんでしょう。

スポンジのたわし。土、布、木、そしてコンクリートの壁と。
だんだん固くなってしまい、水をはじきだす力も大きいでしょう?

それと似ています。硬くて吸収できないのです。

頭が良くて、知恵があって、自信もあって、心も強い人ばかりです。
すごくたよりになりますね。でも心や頭が強くても固いので、
他人の話を聞いても、心の底から受け入れることができない頭に
なっています。

苦労してお話の準備をして話しても、みなさんつぎの日には忘れてしまいます。
自分ではじきだしているんですね。

ですから、大人の人に対する講演はもうやらないと決めていました。
いつか、いつか、中学生や高校生の人を相手にお話しをしたい。

いつかそんなボランティアをしたいとひそかに夢みていました。

それはなぜだと思いますか。
中学生のころには、スポンジが水を吸収するように、
いろんなことを吸収していきます。そしてそれが大きな貯金となって、
将来の役にたちます。

中学生のときに、誰に教わったか。

誰に出会ったか。

誰の話を聞いたか。

どんな経験をしたか。

それは莫大な利息のつく大きな貯金となって、将来にわたって何年も
引きだされていくお金のようなもの。

けれど、先生は今も現役の医者です。
診療にいそがしくて中学校にくる機会もありませんでした。
そんなある日、ここの中学校から「お話しに来てください」とたのまれました。

本当にうれしかったです。
わたしにそんな機会が与えられるなんて夢のようにうれしいです。

ですが、先生は同じ先生でも、学校の先生と丸反対。
しゃべる仕事ではなく、人の話を聞く仕事なんです。
わたしの両親は共に学校の先生でしたので、学校の先生になったらどうか、
と言われました。

でも御免もうむりたいと思いました。
それは人の前でしゃべることが嫌いだと子供心にわかっていたからです。

ですから、みなさんを相手に講演をしたいという夢とうらはらに、
「たくさんの人の前で話すのは嫌だなあ」と最近ずっと悩んでいました。

先生はね。書くことは得意なの。
聞かれたことに答える形で文章にするのは大好きなんです。

でも話すことは、うんと苦手。
ですから、みなさん、今日は苦手なことだけど、
みなさんに会いたい一心で一生懸命話す内容を考えてきた、
ちょっとかわいそうな先生、と思って聞いてくださいね。

話す内容は「こころ」についてです。

先生は「精神科のお医者さん」なんです。

精神科のお医者さんと話す機会は、たぶん生涯で最初で最後になる方も
いるでしょう。
それくらい珍しいお仕事です。
みなさんがこれからの長い将来にわたり、

自分の「こころ」に目を向けられる人になったらいいな。

その機会になればいいなと思います。

みなさんは生まれてまだ、たった13年です。
80才、90才まで生きる人が多い中で、人生のほんの入り口にしかすぎません。

だけど、人生の土台を作るもっとも大切な時期の13年です。

あなた方はたった13年ですでに大きな山をふたつも越えています。

どんな山を越えたでしょうね。

ひとつはね。生まれる前の準備の時期です。

もう覚えていないかもしれません。
いえ、覚えている人など誰ひとりいないでしょうね。

でもあなた方は、天国の片隅で、生まれてくる仲間と肩よせあって、
この地球を見ていた時期があったんですよ。

どの両親にしようかな。どの人の子供になろうかな、って。

今日もご両親の来ておられる方もいると思いますが、
ご両親が結婚していなかったらあなた方は生まれてきていません。
ご両親がデイトしたり、恋愛したり、くっついたり、離れたりしながら、
最後は結婚に至って家庭を築く。

そのプロセスなくして、今のあなた方は存在しません。

あなたが生まれたことは、ご両親、そのまたご両親、そう。
過去のたくさんの歴史を
いっぱいその背中に背負って生まれたきたということなんです。

あなたのお父さんの精子とお母さんの卵子が結びついて、
あなたという子供ができたわけですが、もしも。
あなたが生まれようとした夜に、あなたのお父さんの仕事が長引いて
帰宅がいつもより遅くなった。

あるいはうんと晴れた日だったのに、その日にかぎって大雨が降った。

たったそれだけの理由で、あなたは除外され、別の誰かが生まれているんです。

あなたは永久に、この世に生まれなかったかもしれない。

それくらい、「生まれる」というだけでも大変なことなんです。
とてつもない素晴らしい機会をいただいた。

奇跡に近い出来事だったんです。

その奇跡をくぐりぬけて、生まれてきたのですよ。

大きな大きな山を一つ登って降りて生まれてきたんですね。

そのことをまず頭にしっかり刻んでください。

とても大切なことです。

そして事あるごとに、思いだしてくださいね。

生まれただけで奇跡なんだ、奇跡なんだ。

そのことを思いだしただけで、元気の出る日だってあるかもしれませんよ。

きっとあると思います。

「時間無限大」・・・の結果

数年前一緒に仕事したカウンセラーの男性と久しぶりに会った。
楽しかった思い出がよみがえり、一瞬で時を越えた。
本を出したことを伝えたら、たくさん買ってくれた。
「アフタークリニック」の話で盛りあがり、夢を語りあった。

わたしはふだん、ものすごく人づきあいが悪い。
ところが、本を出したときにかぎって、きわめて「社交的」になる。
どんどん外に出ていく。
その落差がはげしくて、「どっちがホント?」自分でも悩んでいる。

彼は今、落語に熱中しているといい、高座のちらしをもらった。

高校生のとき好きだった。とても忙しい仕事を持ちながら、落語レッスンには
空き時間のすべてを注ぎ込んでいるという。
楽しくて楽しくて、と言うその顔がもうこたえられないくらい喜んでいた。

落語は人前でやるわけだから、相当レッスンはきびしいらしい。
「超忙しい仕事を持ちながら・・・」と私は相当驚いた。

本当に、本当に、好きなことやっていると、時間無限大だ。

これは私が今回、フォトエッセイ集を出した経験でもいえる。
とてもじゃないが、無理と思っていた。時間がない、できるわけがない。
だけど好きだったからやれた。

好きで好きで仕方のないことをやるときには、時間の壁を超える。

それは真実だ。

しかし、彼は仕事以外は落語だけ。インターネットもやめたという。
出来ないのだ、何かに熱中すると他のことが。

わたしは釘を一本さした。太い釘だよ。

好きなことを一生涯貫くことも立派だけど、
あまり立派すぎると脳が偏るよ。
適当に飽きたり、中断したり、あれやこれやに手を出したり。

そのほうが脳にとっては健康的だよ。

実は彼の親友が、40年貫いた趣味の世界のつまずきで、
心を病んでいるという。
だからすごくよくわかると言ってくれた。

凡人でよかったね、ということも多いのだ。
いやいや、凡人のほうがしあわせであることは多い。

能力の高い人ほど、悩み・苦しみは大きい。

さて、あなたはどちらのタイプ?

自宅の前の道。
日に日に紅葉していく。
朝起きたときが楽しみだ。

しかし、へんな現象が・・・・・・
6月から咲いているナスタチウムと紅葉が同じ庭で見られる。
ここは年の半分が春。残りが冬。
春と冬しかないところ。

帰りを待ってくれる いちごちゃん。

医師を育ててください。

医師だけが尊い仕事だとは思っていない。
だけど、病者と関わるようになると、医師ほどありがたいものはない。

わたしの患者さんが大量に服薬して救急車で搬送された。
その後、意識が回復したので、私のもとに来られた。
三連休のド真ん中。
でもそんなこと、なんの関係もない。
そんなわけで私は病院に来ている。

     ☆    ☆   ☆

わたしははっきり言って、旬を過ぎた医者だ。
だから、総合病院に若い医師が着任したとき、清く身を引いた。
だけど、ちいさな、名前も知られていない病院でも、医師は必要だ。
そんな病院の当直を、ちょっと皆がびっくりする回数やっている。
決して忙しくはないが、医師がいないわけにはいかない。
すきま産業である。

     ☆    ☆   ☆

入院を必要とするその患者さんの入院先をさがした。
この前まで勤めていたその、総合病院に電話を入れたら、こころよく引きうけてくれた。
連休明けには、転院される。
その病院には今、旬まっさかりの医師が3人もおられる。
実は精神科の入院先さがしは、普通なみだが出るくらい大変なのだ。
どこも医師不足で24時間体制をとることができないからだ。
わたしは手をあわせて拝みたくなった。
その、旬の医師たちにこころでエールを送った。

      ☆    ☆   ☆

さて、旬はすぎたものの、わたしだって経験や能力はある。
しかし、居場所はいずれなくなる。

今、インターネットで役にたてないかと模索中である。

ぜひ応援してください。こころある医者を育ててください。

きっとまだまだお役にたてます。世の中の財産になれます。

旬がすぎ、体力が落ちて夜昼なくとは働けなくなっても。
だからこそ、長年の夢をはたせたり。
若い医師のできない「すきま」があるだろう。

写真は新そば祭りで行ってきた松本の街中の花。

みなさん、ぜひブログ直行ではなく、HP トップから入ってくださいね。
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「心の病と向き合うために」下書き・2

講演で大事なことは、何を伝えたいかであると言われます。たくさんのことを

伝える必要は ない。ひとつ、ふたつでいいから伝えたいこと。

 情熱的に伝えたいことがあると、知識だけを伝えるときより、はるかに講演は

成功です。 わたしが伝えたいことは、だいたい決まっています。

 それは、こころの問題を「自我」という側面からかみくだいて説明し、誰もが今日から

 自分の問題として考えられるように。

子育てや自分の精神衛生を考えるとき、今すぐからでも応用できるように。

 わかりやすく具体的に伝えたい。 ただそれだけなのです。       

 ♥      ♥     ♥

「自我」という考えはむづかしく聞こえるかもしれませんが、精神医学というのは、

実は むずかしい心の問題を「自我」という考えをもってくることによって、

いとも簡単に乗り越えられる ようにした唯一の学問なのです。 他の学問でも「自我」と

いう概念は使いますが、精神医学では、その概念を使うことで

「こころが病むとはどういう状態なのか」

「治療するとはどういうことなのか」などの 大切なことをわかりやすく説明します。         

 ♥    ♥   ♥

精神医学では「自分」というものをとても大切に扱っているという点では、他の医療や

 学問から飛びぬけています。 もうちょっと詳しく説明します。

精神医学では、自分というものを「自己」と「自我」のふたつに 分けて考えることをします。

 「自己」とは行為している自分のこと、「自我」とは行為している自分を見ている、

 もうひとりの自分、です。 今のみなさんの「自己」は「この拙文を読んでいる」ということですね。

しかし、読んでいる みなさんの「自我」は、それぞれ別々。

今のみなさんの「自己」は「この拙文を読んでいる」ということですね。

しかし、読んでいるみなさんの「自我」は、それぞれ別々。

「この読み物、退屈だなあと思っている自分がいるわ」

という人もいる。

「なんだかわくわくする自分がいるわ」という人もいるかもしれません。

かならず、意識する、しないにかかわらず、行為している自分と、それを見ている、

もうひとりの自分がいるはずです。

パソコンの前でちょっと目をつむっていただきましょうか。

みなさんの行為は同じでも、頭の中を駆け巡る思いは千差万別のはずです。

そして、その自己と自我の関係こそが心の本質だと、精神医学では言っているのです。

         ♥     ♥    ♥

伝えたいことは決まっているのだけれど、ここでひとつ大きな問題が横たわっています。

寺澤芳男氏も書いているように、「自分が言いたいことより、相手が聞きたいことを話す」

それが大事だと言われると、講演というものはなんとむづかしいものだと思います。

気持ちが重くなって正直者のわたしが「ぜったいやりたくないもののひとつ」に数える気持ちが

わかっていただけるでしょう。

寺澤氏は言います。

相手の頭に何を残すか。

自分が言いたいことより、相手が聞きたいことを話す。

自分の「口」からどんな言葉を話すかではなく、相手の「頭の中に何を残すか」が大事であると。

この考えがまったく正しいと思える証拠はあります。

今までやってきたたくさんの講演でも聞いている人の目の輝き、そしてうなずきの数、

笑いの数を見ると、相手が聞きたいことを話しているかどうかが一目瞭然。

そしてそれは、売れる本の数に如実にあらわれてきます。

ワークショップをやったことのない私ですが、相手との共同作業が少しでもあると

一方的にやるよりは修正もきくぶん、やりやすい面もあるかもしれない。

でも、一方的におこなう講演の場合、しらけ始めると止める手立てなし。

だんだん会場がしらけていく様を見るのは耐えられません。

パワーポイントを使えばいいでしょうとか。

たまに手をあげてもらって、会場の思いをすくいだしてみればいいでしょうという

考えもあります。

でも私はそれはやりたくないのです。

パワーポイントなんて、ぜったい使いたくありません。

やはり、情熱と知恵を使って、わかりやすい生きた言葉を使って伝えることに

意義ありと思うものですから(わたしにとっての修行という意味で、です)

          ♥    ♥   ♥

今回は精神障害者の作業所が主催して、広く市民も参加できるようにしているちいさな

講演です。

主催者からの注文がひとつ。それは障害者を受けいれる社会になるような助言のある

内容を少しでも入れてほしい、というものです。

障害者の、もう若くはない家族だったり、市民といっても誰か家族に障害の方をかかえて

いるために多少こころの問題に関心のある人たちではないかと思っています。

また、民生委員の方など、身近にお世話しているために知識を増やしたい方もいると思います。

相当わかりやすく、具体的に話さないとだめでしょうね。

困っています。

          ♥     ♥    ♥

自己紹介のあと、一番先に話す言葉を何にしよう。

今日は一日中、暇さえあれば考えているのですが、いい考えが出てきません。

パソコンで打ち始めると考えが浮かんでくるという私のパターンなので、期待しているのですが・・・・

ちょっとお茶でも飲んでこよう。

            (休憩)

さて、本番です、チョン!

          ♥    ♥   ♥

今日の講演の題名である「心の病と向き合うために」というタイトルは、なかなか良い

タイトルを見つけられなかったために、適当につけたものです。

しかしこのタイトルを見てやってきてくださったみなさんは、こころの問題を抱えている人と

まったく無縁ではないために、何かヒントが得られるかもしれないという淡い期待を

抱いて来てくださった方ばかりだと思います。

私は精神科の診察オンリーで40年を過ぎましたので、何万人という患者さんを診てきました。

それだけの実績がある私なら、何か特効薬を持っているかというと、それはまったくない、

と言っても言い過ぎではないくらいにこころの問題はむづかしいものです。

実は今日の主催者と関係のある赤十字病院をこの4月でやめました。

なぜやめたかといいますと、新しい先生が赴任されたからです。その先生とは面識がありません。

だけど、精神科医になって6年だという心意気に燃えたその若い男の先生と、年季40年を越えた

ちょっぴりくたびれた私を比べてみると、精神科というのは不思議なもので、

その若い先生のほうがよく治せる場合のほうが多いのじゃないかと思えて、

あっさり身を引いたのです。

笑わないでくださいね。

私にも若くて情熱的で、ほっとけないように感じられるかわいいときがありました。

古い先生では治らなかった患者さんを若い私が主治医になったことによって流れが変わり、

治らないと思った患者さんが治ったことがよくあります。

またこんなこともあります。重い精神病の方が優しいご両親のもとで手厚く看病されていました。

ご両親が亡くなったらどうなるだろう。誰もが心配するところでした。

ところがお父さんが亡くなり、優しく面倒見の良いお母さんが亡くなりました。

患者さんは悪くなるどころか、次第に良くなっていきました。

そんな例は枚挙にいとまがありません。

こんな話をいたしますと「若い先生のほうが情熱があっていいのかなあ」とか

「親がいなくなると頼る人がいなくなって甘え心がとれるせいかしら」くらいのことは

素人の方でも想像がつくと思います。

そうですね。当たらずとも遠からずではあります。

まず、結論を先に話してしまいましょう。

心の治療というのは、子育てにとてもよく似ていること。そのことを話したいと思います。

若いお母さんのほうが無我夢中で育てるので、うまくいくことってあるでしょう。

また子育ての目標は「自立」ですから、親が亡くなったとたん良くなることも

あり得ることですよね。

「子育て」も「こころの病気の治療」も、心を育てるという意味でまったく同じです。

まず、そのことについて話します。

「心の病気の治療」などという難題が、子育てと同じだとわかれば

またそれぞれの方に新しい視点や方策も生まれるかもしれませんね。

そしてつぎに「じゃあ、こころを育てるとは何か」についてもっとくわしく話したいのですが。

時間がかぎられます。

今日持参しました、今週できたばかりのほやほやの本は、私がこころを育てる治療の中で

ふだん患者さんに話している具体的な言葉が書いています。

わたしという医者はとても年季がはいっているらしいということ。

またどんなときでも治療を投げだすことなく誠実に患者さんを支えてきたらしい

という証拠は、この本以外には、何もありません。

カルテは密室に保管されています。

また患者さんはなおってしまうと医者を忘れます。それでいいのです。

今日はそのいくつかを抜粋してお話しするにとどめます。

関心のある方は、あとでその証拠の品を手にとってみてください。

八ケ岳近辺の美しい写真も入っていますのでながめていただけるとうれしいです。

         ♥    ♥   ♥

ああ、くるし~いっ!