連載コラム(30)心が宿る場所を大切に

<30>⼼が宿る場所を⼤切に

この夏は久しぶりの猛暑だった。旅をした私も旅先の暑さでバテたが、⾃分の「疲れ」が暑さ負けなのか仕事疲れがどっと出たのか、はたまた旅⾏という慣れない環境に適応できていないのか悩んでしまった。それがきっかけで私は「疲れ」とは⼀体何で、どこから来ているのかなどについて思いを巡らすことになった。

そんなある⽇、出張先で読んだ新聞が私の⽬を引いた。それは「体で対話する⽣き⽅」というタイトルで、ダンサーの⽇常を追ったドキュメンタリー映画を紹介するものだった。ダンサーの「⾃分の体に敏感になると⼈の気配も分かるようになっていく」「体が柔らかく開くと⼼も開く。そうすると相⼿も受け⼊れてくれる」の⾔葉が印象的だった。監督は「⾃分の体に意識を向けるきっかけになってほしくて」この映画を作ったという。

精神科医というと、⼼ばかりを⾒ていると思われるかもしれない。でも私は、患者さんの姿勢や傾きや太り⽅などを同時に診ている。「⼼と体は⼈間が便宜上分けただけで、本来は分けられるものでない」というのが私の持論だ。

⻑く⼼の不調に悩むA⼦さんはあちこちの病院に何年も通院した後、半年ほど前に当院に変わってきた。幸い半年で症状が改善した。しかし喜びも束の間、引っ越しをきっかけに調⼦を崩した。A⼦さんは引っ越しで無理はしていないと⾔い張った。むしろ広く快適な家に越してうれしくて仕⽅がない。それなのに精神病状がぶり返したことに納得がいかないと⾔う。落ち込む彼⼥を前に私もハタと考えこんでしまった。

しかし、こういうことだと思う。新しい⽊の⾹りのする住みやすい⼀軒家に何の不⾜があろう。しかし、いくら⼼はうれしくても、彼⼥⾃⾝の体はそれまでの狭いアパート暮らしにすっかり馴染んでいた。動線も気づかいも異なる新しい住まいに、まだ体が馴染めずに緊張を強いられ、その結果、⼼も疲れてしまったのではないだろうか。

「引っ越しくらいで」あるいは「たかが部署が変わっただけで」と思う⼈は多い。けれど、環境の変化は、知らず知らずのうちにまず体に負担をかける。その結果、体の緊張から⼼の不調を来す⼈は案外多いのではないだろうか。

体の専⾨家であるダンサーと、⼼の専⾨家である精神科医が同じことを考えている。「柔らかくしなやかな体が柔らかい⼼をつくる」「体の病気の遠因が⼼にある」「⼼の病気のきっかけが体だった」などだ。なんだか調⼦が悪いなぁ、という時は、「体」にも「⼼」にも意識を向けて、ぜひあなた⾃⾝との“三者会談”をやってみてほしい。

時代の流れ

2005年に「ばあさんがじいさんに作る食卓」と言うブログが人の注目を集めました。

京都在住、当時68才の婦人のブログです。

つぎつぎと本になりましたね。

それから12年、ひさしぶりに開いたら、このGWから休止になっていますが、でも続いています。すごいです。

⇒ばーさんがじーさんに作る食卓

   ♡     ♡     ♡

でも、時代の変化はもっとすごい。

今日の新聞に、載っていたご夫婦は、スマホでインスタグラムです。

定年を迎えた60才。PON,BON夫妻。

毎週、景色の良い所に出向いて、半年で120枚の写真。

スマホで自撮りです。

なんとまあ、かわいくて決まったお洒落でしょう。

⇒ インスタグラム ぼん・ポン夫妻

インスタは私はやっていません(やれていません)

でもパソコンでも見れますね。

毎週、素敵な景色の所に出かける

のもすごいですが。

毎週、衣装を変えるのは、もっとすごい。

こんな時、たいていの人は「私には出来ない」という感想をもらします。

でも、「私」はどうでもいいと思いませんか?

「私」はさておき、すなおに感動したいと思いました。

フォロワー半年で518千人。

あり得る数字?

これって5万人? それとも まさか 51万人?

それさえわからない私って一体、何者? 時代遅れ??

ちなみに私のブログは 読者たぶん推定60人くらい??

トホホ・・・・とほほ・・・12年もやっているのに。愕然。

あああ! やっぱり比べてしまった、取り消します(笑)

☆彡

それにしてもご夫婦の白髪、きれいですね。シャンプーも時代によって変わっていきますね。白髪は避けたいところですが、ここまできれいだと素敵です。

 

連載コラム(29)情報満載・家族の顔

 

皆さんは、毎⽇、夫や妻や⼦どもたちの顔をどれくらい⾒ているでしょうか。

⼀緒に暮らしていても、あらためて家族の顔をしっかりと⾒ることはあまりないのではないかと思われます。

先⽇、ある⻘年がうつ症状を訴えて外来を訪れました。

ともに店を経営していた⽗親が脳梗塞で倒れ、店を⼀⼿に引き受けることになったのです。看病しながら頑張っていましたが、1年たったある⽇、気がついたらうつ病になっていたといいます。

⻘年は礼儀正しく、訴えも控え⽬で、⼀⾒して重症には⾒えないのでした。

しかし、ここがうつ病の診断の難しいところなのです。

この青年と反対に、憂鬱感が強いとか⾷欲がない、やる気が起きないなど、うつ病と似た症状があっても実はうつ病とは限りません。

その違いは何でしょうか。

うつ病を⼀⾔で表すと、エネルギーの枯渇状態です。

貯⾦を使い果たすと何も買えないように、エネルギーを使い果たすと、何もできなくなります。

「うつ病」と「単なる落ち込みや憂鬱な気分」との違いはエネルギーの量だということができます。

たまに、いかに⾃分が⾟いかについて滔々と述べる患者さんがおられます。

うつ病の⽅が、こんなにエネルギッシュにしゃべれるだろうか。本当にエネルギーを使い果たしていれば、話すのも訴えるのもしんどく⼤儀になるはずだ、などいろいろ考えながら診断のためのお話しをお聞きしていきます。

エネルギーが枯渇すると、⼈はしおれた花みたいになるように思います。

つまり話すのもおっくう、⼈と会いたくない、⾷べるのも⾯倒、顔から⽣気が失われる、夜も熟睡できない、などなど。

そしてそのすべての変化は、案外しっかりと顔に出るのです。

顔は正直に、その方の内面をあらわします。

だから私は、診察室で「聴診器」の代わりに「私の⽬」を使うのです。

とにかくまず患者さんの顔を⾒ます。

症状が良くなっても悪くなっても表情ひとつでだいたいのところが分かるのですから不思議でしょう?

患者さんの中には「先⽣がパソコンばかり⾒て、⾃分の顔を⾒てくれない」という理由で病院を変わってくる⽅も少なくありまん。みんなしっかり⾃分を⾒てほしいのですね。

専⾨家は毎⽇たくさんの顔を⾒ないといけませんが、皆さんなら家族だけ。

家族の数なら知れています。

ここがポイント!

毎⽇⼦どもたちをがみがみと追いたてる前に、わが⼦の顔が⽣き⽣きとしているかを⾒ることにしませんか。

忙しさにかまけて相棒の顔などじっくり⾒たことがないという⽅も、朝起きた時の顔を「定点観測」していれば、いずれその⽇の調⼦や気分が分かるようになるはずです。

毎⽇同じようでも、家族の顔や表情にはさまざまな情報が書き込まれています。

ここもポイント!!

 

⽇々⾒続けることではじめて、その⼈の変化というものが分かるようになります。

 

その変化や違いをキャッチすることが⼤切なのです。

薬や病院に頼る前に、ぜひ「あなたの⽬」を使ってみてはどうだろうかと提案したいと思います。

 

 

 

連載コラム(28)私が仕事を休まないコツ

 

 

⾝体が丈夫なほうでなく、不調を感じることも多い私です。

なのに何⼗年、病気で仕事を休んだ覚えがないのです。

そう話すと皆さん驚いてそのコツを聞かれます。

「無理しないことですか︖」と聞かれることも多いです。だけどこれが違うのですよ。

 

コツはただ「休まないと決める︕」です。

 

もちろん体調を崩すこともありますが、「患者さんがいるので、まず絶対休まないと先に決めてるのよ」と⾔うと相⼿は笑ってしまいます。そんなことが健康の秘訣だなんてね。

でも本当なのです。

先⽇の⽇曜⽇も、起きようとしたのですが、吐き気がしてどうしても起きられませんでした。

朝も⾷べられず、昼も⾷ベられず、⼣⾷も⾷べられず、⽔さえ喉を通らない状態が続きました。

仕⽅がないからおとなしく寝ているしかないと観念しました。

しかし考えていることは、「明⽇、⾏けるかどうか」ではなく、

「どうしたら明⽇⾏けるか」だけです。

 

つまりダウンして寝ていながらも、私の頭の中に「明⽇は休む」という選択肢は全くなく「⾏くこと」しか考えていないのです。

こんな時、夫はというと…。私の性格や置かれている状況をよく知っています。

だから「絶対⾏くよ」と同情も⼼配も全くありません(笑)。

私⾃⾝は⾝体の変化を⾒つめつつ、とにかく寝ていただけでした。

すると夜中の12時になって、吐き気が⽌まってやっと⽔が飲めるようになりました。このあたりで「しめた︕」と思ったのでした。

夜が明ける頃には、どうにかお粥が⾷べられました。

これでもう⾝体は回復の⽅向に向かっていること間違いなしです。そしてもちろんその朝、いつも通り仕事に⾏ったのでした。

ここがポイント!

⼈はあれこれ迷ったり⼼配したりするのが好きですが、選択肢が⼀つしかないと悩もうとしても悩めません。

「⾏くこと」を先に決めておくと余計な⼼配や迷いがないので、そのぶん⾝体の回復にエネルギーを集中できるのかもしれないと思います。

多くの場合には、迷いが邪魔をしているのですね。

医者の宿命で⻑い歳⽉の間にそんな思考や⾝体になったのだと思います。

だからといって「休む⼈は⽢えている」とは思わないし、このコツを⼈に強制したこともありません。

むしろ普段から患者さんには「無理しないで」「がんばり過ぎないで」と繰り返している私です。

またこんな私も、精神科医が10⼈以上いる⼤病院に勤めていた頃には、⼦どもが4⼈いたこともあって、遅刻の常習犯でした。

「医者でなかったらとっくにクビだね」と同僚に嫌みを⾔われたくらいです。

つまり、遅刻しても誰かがカバーしてくれる環境にあると、無意識に気持ちが緩んでしまうのでしょう。

これは誰にでも⾔えることではないでしょうか。

退路を断ち、選択肢を⼀つにする。

その覚悟が、持っている⼒を最⼤限に引き出してくれると思います。「⼀念岩をも通す」じゃないけれど、願望を先に決め、迷いなくそれに向かっていると、念願がかないやすいのですよ。

ぜひ皆さんもお試しあれ。

 

 

韮崎・マイストーリーにて。

今日は韮崎のカフェレストラン、マイストーリーで、職員の方たちと講師を招いて勉強会をしました。

医療とは別の業界の方だったので、話が新鮮。

みんな興奮していました。

医療者は、医療者だけで集まっていたら取り残されるとつくづく感じる、いい勉強会でした。

 

三連休を利用したドライブのせいか車が名神並みに多く、中央高速で事故りそうになりましたヒヤッとして、本当に懲りました。

隠すのはよくないと思って夫に言ったら、本気でめちゃくちゃ叱られました。いつも注意されていることなのに、守っていなかったせいだったので、ここに書けないくらいの怒りかたでした。

小学生のころ、父にきびしく叱られた以来の叱られ方でした。

それくらい危なかったのだと思いました。

無事で良かったですが、毎日100キロも運転するのですから我ながら大変だなあと思います。

連載コラム(27)忙しさの中で見えたこととは?

 

うつ病など、⼼の不調を来した⽅がよく訴える悩みに「家事ができない」「仕事がはかどらない」などがあります。

「部屋はごちゃごちゃ、⾐類の整理ができない」「料理のメニューが浮かばない」などです。

 

この問題を⼼の病の治療法という観点からではなく、多くの⼈に共通する悩みとして書いてみたいと思います。

 

なぜなら⼦育て中の⺟親、介護をしている⼈、⾼齢者、ハードワーカーなど、時間的にも精神的にも余裕がなくなると、こうした状況は誰にでも起こりうると思うからですし、私⾃⾝もその⼀⼈だからです。

 

そんな時、ある新聞記事が⽬にとまりました。

アメリカのデパートで接客をしている⼥性が、⽩いシャツに⿊いパンツを⾃らの定番と決めてそれで通しているというものでした。

本来ならその⽅は洋服を⽇替わりで着がえる⽴場にあったのです。が、「男性のスーツのような装いでも何ら問題ない」というその女性の⾏動は、⼈々に好感を持って受け⽌められることとなりました。

そして「⼥性だからといって洋服を変えなくていいのではないか」という議論が巻き起こったらしいのです。

 

私はそれにヒントを得て、というか、勇気を得て、⾃分の⾐類を⼤幅に減らすことにしました。

そして仕事や会議などで失礼にならない程度にシャツやセーターとパンツ姿で通すことに決めたのです。つまりスーツは持たないのです。

以来、私の定番化はさらに進み、数枚のシャツやセーターに2〜3本のパンツを着回すのみとなりました。

⾐類の整理や⾐替え、洗濯やアイロンがけにとられる時間はほぼ皆無となり、本当に快適です。

 

私は⾃分に能⼒的・時間的にモノの管理能⼒がないことをよくわかっています。

それは、うつ病になった⽅が本来の能⼒を失った状態ととても似ていると自分では思います。

また私には他の⼈の視線を気にする以上に「するべきこと」「したいこと」があるのです。その時間がほしい!

 

つまりモノの管理にとられる時間があったら、仕事や健康管理をしたい。

ここがポイント!

何かしたいこと、するべきことのためには、捨てること、諦めることが必要なのではないでしょうか。

また、能力がなかったら諦めたり減らしたりすればいいのではないでしょうか。

「○○できない」と悩む⼈の多くはそうした現実をしっかり⾒ていないように思います。できなかったら、それを認めてしまえばいいのです。

⾃分の能⼒を過信し、若い時と⽐べ、他の優秀な⼈と⽐べ、病前と⽐べているのではないですか。

「⾐類の整理ができず⼭のように積まれている」と悩む⼈への助⾔は、「枚数を減らしなさい。⾃分で管理できる枚数にね」です。

能⼒や時間のある⼈が、どんなに⾐類を持っていようと構わないと思います。

だけど、今の⾃分に余裕がないのなら、仕事やモノや料理のメニューを能⼒に合わせて減らそうではないですか。

まず⾃分の現実を⾒つめ、本当に必要なもの、本当にやるべきことのためには、⾒栄や体裁を捨てて持ちたいもの、やりたいことの数を減らそうではありませんか。

そうすることはきっと⼼地よい⾐⾷住の、そして幸せな⼈⽣への第⼀歩ではないかと私は思うのです。

 

 

八ケ岳クラフト市

 

今日は年に一度、わが家の前が車で渋滞する日です。

歩いて2分の文化園でクラフト市が開かれました。

 

私は「散歩のため」

夫は「雰囲気を味わうため」に毎年出かけます。

 

途中で、知人に出会い、おうちにお茶をお誘いしました。

私は本当につきあいも悪く、またその暇もなく、孤独に、暮らしておりますけど、やっぱり人は恋しくないと言えばうそになる。

人間は好きです。

ですので、知人に出会うと「お茶でもいかが?」とついつい言ってしまいます。

 

実は夫が建てた家のお施主さんだったので、話がはずみました。

 

私は夫の仕事にはまったくノータッチでしたが、夫のお客さまの名前と住まいの場所はすべて心得ています。性格やおうちの特徴も知っています。

会ったことが一度もなくても、お名前を一度聞けば忘れません、これは私の特技です。

10年くらい前のお客さまから電話がかかり、夫がどなたかわからない、と言っても「ほら、小淵沢に別荘を建てられた大阪のKさんじゃないの」とか言うので夫もびっくりします。

患者さまのことも、10年くらい前に来てらした患者さまでも、お名前を聞くと、いろんなことをすぐに思い出せます。

 

マ、それは余談ですが。

そんなわけで、ちょっと普段と違う一日を過ごしました。

 

 

連載コラム(26)人生の落とし穴・乗り越え輝く

 

⼈⽣には何が起こるか分からないものです。

あなたは普段からそのことを、どのくらい⾃覚しているおられるでしょうか。

先⽇、私の先輩である医師が愛する娘さんを亡くされました。

娘さんも素晴らしい医師として活躍されていた中での突然の出来事でした。

彼の悲しみようはとても⾒ていられないほどでした。

 

実は10年前、私も同じ体験をしました。

⼦どもたちの無病息災を祈っている⼀⽅で「うちだけは⼤丈夫」という根拠のない安⼼感があったかもしれません。

まさか、自分の子が・・・とは誰もが思っていることです。

 

しかし、ある幸せな⽇曜⽇の朝、息⼦が事故で亡くなった知らせを受けたのでした。

わたしは突然奈落の底につき落とされてしまいました。

 

⼈⽣には“落とし⽳”があって、いつ誰がそこに落ちても不思議ではないのでしょう。つくづくそれを思い知らされたのです。

でも誰でもそれくらいの覚悟をしておいたほうがいいし、また、だからこそ平凡な⽇々の有り難さが⾝に沁みるのだと思います。

 

滋賀に⽣まれ育った私の⽗も号泣するほどの悲しみの淵に落ちたことがあります。

91歳の夏、頼りきっていた妻が病気で急死すると、亡骸を前になりふり構わず号泣し続けたのでした。

悲しみと絶望から酒に溺れ、怒鳴ったり、失態を演じたりするようになりました。

品格のあった⽗とはとても思えない⾔動が進み、⼭梨に住む私の元に嫌々連れてこられることになったのです。

つらかったことと思います。

誰もが思うでしょう。

「90歳を過ぎるまで幸せに暮らしてきたのだもの、悲しみや絶望かも、もう無縁だろう」と。

でも⼈⽣の落とし⽳に年齢は関係ないことの過酷さを知ったのでした。

最後は⼩さなグループホームでお世話になり、1⽇1合のお酒を楽しみつつ落ち着いた暮らしを取り戻すようになりました。

⼣⽅になると⼥性職員に「家族が待ってるだろう。早く帰ってやれよ」と声をかける優しさがあったと聞いています。

やがて私の顔も分別がつかなくなっていましたが、最期まで品格だけは崩れなかったように思います。

 

落とし⽳にいったん⾜をとられましたが、⾒事にそこを乗り越えた⼈の⼈⽣は、さらに輝くことを⾒せてもらったと思っています。

最近、ニュースで⾒るような事件や災害、世の中で起こるすべてのことは、あなたにも起きうることです。

 

しかし、⼈⽣の落とし⽳は、必ずしも⼈を不幸のどん底につき落とすだけのものではないと思っています。

それは⽣きている以上避けられないものであり、私たちがふたたび這い上がって成⻑するきっかけとなり得るのだと私は信じたいのです。

 

 

連載コラム(25)親しき仲にも距離感あり

先回は「嫌」を意識することの⼤切さについて書きました。今回は、その「嫌」との折り合い⽅について書いてみたいと思います。

会社に⾏けなくなった33歳の男性が来院されました。好きな仕事に就いて7年になるということです。

だけど、3年ほど前から上司と合わない。上司はやり⼿で前向き、部下からも⼀⽬置かれているそうです。なぜ⾃分が彼を苦⼿に思うのか分からないけれど、最近では顔を⾒るのも⾟くなってきたというのです。

思いきって、なんとその上司本⼈に相談したといいます。

懐が広いのか意外にも理解してくれ、できるだけ顔を合わさずに済むような仕事に回してくれたそうです。

しかし、それでもだんだんと気重になり、夜も眠れなくなってきたということで来院されました。

私は不思議だったのでいろいろと聞いてみました。

どうやら、内向的で不器⽤、地道にこつこつ仕事をするタイプの男性が、タイプの違う上司に無理に合わせているうちに、少しずつ無理が重なり、⾃分を否定するようになったと私は仮説を⽴ててみました。

 

「そう⾔えば僕は⼦どもの頃から、あまり嫌ということを⾔えなかったんです。親にも反抗したことないし。今回に関しても我慢し過ぎたのかもしれません。遅過ぎたかな」と浮かぬ顔で答えました。

 

今、流⾏りのアドラー⼼理学では、「⼈間の悩みはすべて⼈間関係の悩みである」と考えるそうですが、実際に新聞の⼈⽣相談を⾒ても、その⼤半は⼈間関係の話につきることが多いですね。

私の診察室でもさまざまな⼈間関係の悩みが渦巻いているように思えます。

しかし、そんな患者さんに私はよく、こんなシンプルな解決法を提案することにしています。

ここがポイント!

それは単純で明快。

単に「距離をとること」なんです。

 

「そんなことできないから悩むのでしょう」とか「逃げることになりませんか」と⾔わます。

そんなことはありません。

物理的には難しい場合でも「⼼理的に距離を置く」という⽅法なら考え⽅次第ではないかと思いますが、どうですか。

だけど⼈は、誰それが苦⼿とか嫌いとか⾔いながら、度々その⼈を思い出し、喜々として「いかに嫌いか」をくり返し話すことがいかに多いことでしょう。

嫌いと⾔いながら、とらわれていることに気づいてさえいないのです。

なぜだろう。なぜでしょう。

嫌いだとか苦⼿だとかと思う相手って、実はその⼈にとって気になる存在でもあるからなのです。

上司と部下、夫婦や親⼦。

⼈は「仲良くしなければいけない」という「ねばならない」にとらわれていることのいかに多いことかと思います。

そんな⼈たちに「もっと離れてもいいんだよ」と⾔ってあげたい。

⼈間関係で悩んだら⾃分や相⼿を変えようとする前に「必要以上に近づき過ぎているかもしれない」と⾒直し、⼼の中でダンシャリを決⾏することをお勧めしたいです。

いい⼈間関係のコツとはほど良い距離感にあり。

ではないでしょうか。

 

昨夜は当直でした。

昨夜は当直でした。

それも救急当直でしたので、早めに休みました。

深夜に起こされるからです。

写真は患者さんの病院食(夕食)

当直者は病院食を検食として食べます。

ハンバーグと、大根とシジミの煮物。

シジミの味がとてもよく沁みていて美味しかったです。

当院は、家庭的な味です。出しはすべてだしジャコのみ。

酢豚なども、ケチャップを入れず、醤油とかだけで味つけするのですが、あまりに大量に作るので、ケチャップを入れる家庭の味ではぜったい出ない美味しい味になります。

大量に作るってすごいことのようです、味が変わるのです。

さて、続く土曜日も外来が忙しく、怒涛の週末でした。

今夜もスカイプなどで勉強があります。

わが家は仕事で忙しくしている私と、松本清張のビデオ2時間を必ず寝てしまうので「4回見たけど、4回とも寝てしまったから5回目を見ないと筋がわからん・・」というノンビリ屋の夫のヘンな組み合わせ夫婦です。

私は頑張り屋のお忙し人間ですが、のおおんびり生きている人を見るとほっとします。