ギャラリー・1
昨日の疲れがひどすぎる
昨日ひさしぶりに「歩いた」と書きました。
私の「運動不足」は相当なものですので、かなり慎重に歩いたつもりでしたが、今日のしんどさは格別。
ピラティスの最中に、ちょっと力を入れたら、ふくらはぎがつってしまい、その痛いことと言ったら言葉であらわせない痛さです。
さすってもだめ、じっとしていてもだめ。
旅行中などは、一万歩以上歩きますし、それでも平気ですから、多分、わが家周辺の上り坂は相当きついのだと思います。
それに暑かったですね。
27度といえば、他の地域に比べて涼しいと思い、軽く見たかもしれません。
標高1300m というのも相当に負荷のかかる高さだそうです。
山岳地帯でマラソンの訓練を行うことを考えると、このあたりを犬など連れて軽く散歩しているつもりでも、それなりの運動になっているのじゃないかと言われています。
それにしても今日のダウンがひど過ぎて、またまた運動から遠ざかりそうな気配です。
そんな中、夕食つくりでなんとかしんどさをまぎらわしました。
明日は大丈夫でしょうか・・・・・なんだか心配な今日でした。
連載コラム(19)叱る前に準備すること
最近、学校の先⽣と⽣徒の間の信頼関係が揺らいでいるための事件が⽬⽴ちます。
⼀体、信頼関係とは何でしょうか。
私の診察室では患者さんの話を聞き続けることに多くの時間を割きます。
患者さんの話すことを評価せずに、ただただ聞き続けるということを何年も続けます。
そうしますと、いざ「これは放っておけない」という時にきつい助⾔や注意をしても、素直に聞き⼊れてくれるのです。
「信頼してくれているからかな」と思う瞬間です。
話を元に戻しましょう。
私がいつも不思議に思うことがあります。
それは、新しく4⽉から担任になった学校の先⽣が、⽣徒が悪いことをすると、赴任間もなくであってもすぐに注意することです。
悪いことをした⼦どもに注意するのは当たり前だと思われるかもしれませんね。
でもね、⽣徒の側から⾒たらどうでしょうか。先⽣の⾔うことが正しいと分かっていても、⾃分のことを何も知らない先⽣から叱られると、ショックを受けたり、素直に受け⼊れられなかったりするのではないかと思うのです。
⼈間は、正しいことだけを⾔っていればいいというものではありません。
まず教師と⽣徒の関係性があって、その⼈間関係の上に⽴った「褒める」や「叱る」ではないでしょうか。
そして信頼関係などというものは、そもそも⼀朝⼀⼣にできるものではないのです。
私が⼼配するのは、事件に発展する場合などには、先⽣との間だけでなく、その⼦は親に対しても⼼を開いていなかったのではないかという点です。
親を信頼するとはどういうことかと思われますか。
親が⼦の⽋点や弱さも⼗分に分かった上で、⽋点や⻑所も含めて丸ごと⼦どもを受け⼊れていると、⼦どもは親に隠すこともうそをつく必要もないわけですよね。つまり弱い⾃分もさらけ出せるということです。
私も含めて今の社会が、弱さや⽋点を受け⼊れない体質になっているので、⼦どもは親にも先⽣にも容易に⼼を開いてはいけない、弱さを⾒せてはいけないと思っているのかもしれないと心配します。
こうした関係は実は、師弟や親⼦に限らず、上司と部下や、友⼈、親類などすべての⼈間関係に⾔えると思われます。
例えばこんなことはないでしょうか。
尊敬し、信頼している⼈から叱られると、ショックであっても、どこかで妙にうれしい。でも信頼していない⼈から叱られると、むしろ反発してしまう。その違いは「相⼿を信頼し⼼を開けるかどうか」にあるのではないかと考えます。
信頼関係がなければ、いくら⾔葉を投げかけても、それは閉じた⼼に跳ね返されるだけです。
ここがポイント!
本当に相⼿のためを思うなら、回り道のようでも、まずは相⼿の話に⽿を傾け、事情や思いを受け⼊れるという準備を十分に時間をかけてしましよう。
しっかり時間をかけてから注意したり叱ったりしても決して遅くはないし、むしろ⼼に沁みると思います。
連載コラム(18)たまに夫婦の役割見直してみませんんか
夫婦とは、たった⼀つしかない椅⼦を取り合いっこする営みである、と⾔ったのは⼩説家の⽥辺聖⼦です。
つまり、どちらかが先に「私、働かない」と宣⾔すれば、もう⽚⽅が⼀⽣働かねばなりません。
⽚⽅が「俺、料理は苦⼿」と⾔えば、もう⼀⽅が⼀⽣キッチンに⽴つことになります。
お⾦の管理しかり、⼦育てしかり、先に椅⼦に座った者勝ちの世界です。
理屈もなにもあったものではありません。
⼆⼈の暮らしに、椅⼦が1個しかないというのは実に激しい現実です(笑)。
そして⼆⼈の役割は結婚当初の「椅⼦取り合い合戦」で固定されたまま、何⼗年と続くのです。そんなこと、考えたことありましたか?
それがいろんな病理を⽣みます。(最近は、殺人事件にまで発展することもありますね)
認知症もその⼀つといえるかもしれません。
それは⽚⽅がやり過ぎると⽚⽅がやらなくなる。⽚⽅がわがままになると⽚⽅が我慢する。たったそれだけのシンプルな法則です。
そしてやらなくなる⽅は、能⼒がどんどん落ちていく、という事実です。
A⼦さんは77歳。68歳まで勤め続けました。しかしどんなに良いことでもパターン化してしまえば、脳への刺激にはなりません。
⼀⽅、ご主⼈は家計管理、書類関係などに⼏帳⾯で、仕事の傍らA⼦さんを⽀えたのでした。「できた優しいご主⼈ね」と⾔われ続けたといいます。
しかし数年前、ご主⼈が病に倒れて亡くなったのでした。
⾯倒なことをすべて夫に任せてきたA⼦さんは、混乱し茫然としていましたが、間もなく認知症の兆しが出始めました。
A⼦さんの認知症は⻑い年⽉をかけて、ご主⼈が育ててきたともいえるのです。
優しいはずのご主⼈が、A⼦さんの能⼒を奪い続けていたとは何と残酷な話ではないでしょうか。
でも、夫婦がお互いに相⼿の能⼒を奪い続けた結果、より奪われた⽅が認知症になったケースは多くみられます。
誤解しないでほしいのですよ、優しさが悪いわけではないのです。また夫婦の役割分担は合理的だし互いに好都合だと思います。相⼿の領域に踏みこまず、少し距離を置いて喧嘩を避けるやり⽅は賢明でもあります。
ここがポイント!
しかし、⼈としての成⻑や頭の訓練という観点から⾒たらどうでしょう。性格や能⼒の違う⼆⼈だからこそ、喧嘩や葛藤を通じて成⻑できるのが夫婦ではないでしょうか。
⼀⽅が相⼿に遠慮して気遣うあまり、相⼿の⽋点がむしろ増⻑されていると感じる場合もあります。
相手に無頓着になっている。相手との険悪な雰囲気をただただ避けている、などなど。
相⼿の顔⾊をうかがい、出来上がったパターンを崩すことを恐れると、互いの⽋点が修正されないまま増⻑し、加齢によってエスカレートしたり、能⼒が衰えたりするのかもしれません。
固定化された夫婦の役割を⾒直し、交代を検討してみてはどうだでしょう。
また苦⼿だと思って避けてきたことをやってみることで、眠っていた能⼒が⽬覚めた例は年齢に関係なくしばしば⾒られることです。
さあ、あなたは今⽇から、何に挑戦してみますか。
運動不足って病気予備軍
信州大学で開発・実用化し、今では世界的に広がっている速歩計を買ったのは昨年でした。
昨年末までは、どうにか使っていましたが、正月を機にやめてしまいました。理由は「寒さ」そして雪。
まあ、そんなに雪も降らなかったし、この地は冬でも風がないので歩くと暖かいのです。でも、それを理由にしたということです。
3月になったら。
4月になったら。
5月になったら。
6月になったら。
でも出来ませんでした。郵便物を取りに出るのさえおっくうな私は、筋金入りの「運動嫌い」なんです。
でも、体力の低下。
そして運動しないから、余った時間をついついパソコンに向かってしまう。ますます身体の調子が悪くなる・・・の悪循環。
とうとう決心したのが今日でしたが、すでに半年たっています。
都会の方は「銀座まで」と思うと歩かざるを得ません。でも田舎の私は、本当にドアから車まで歩けばいいんです。
ほんとにホント! ドアから車までを半年続けました。そして身体を壊しはじめました。
今日は暑い中。
喫茶店まで歩きました。
坂なので、頻脈がこわくて、6600歩を3時間かけました。
坂がきついので、300カロリー消費しました。
速歩計は坂もひろってくれます、上り坂は速く歩くと
速歩の音楽が鳴りますし、カロリー消費も高くなります。
食べたもののカロリー計算。運動のカロリー計算などをけっこう楽しくやっています。
きっと健康的になれると思っています、仕事は頭より身体ですから。
連載コラム(17)自分で治す力・信じよう
精神科の敷居はどんどん低くなり、⼈々が気軽に精神科の⾨をくぐる時代。その中にどんな問題点が潜んでいるかについて書いてみたいと思います。
気軽に受診することは必ずしも悪いことではありません。軽いうちに治せるという利点があります。
しかし、どこからが「医療」で、どこからが本⼈の考え⽅や環境の問題であるかなどの線引きが難しく、そういう患者さんが多くなっているのが最近の特徴だと言えます。
急に会社に⾏けなくなった40歳の男性は、「上司とうまくいかなくなったが、最初は頑張って⾏っていた。しかし、朝になると気分が悪くなり、家を出る時間になるころから動悸がしたり吐き気がしたりして、どうしても家から出れなくなり会社を休んでいる」ということで来院されました。
気分も憂うつで、不安も増して、夜も眠れないといいます。気が強くて⾃信過剰の⾯と、⾮常に⼩⼼な⾯が同居しているように見えました。外⾯(そとずら)がいいので⼈間関係は悪くないらしいです。
患者さんの問題や環境はさておき、夜もぐっすり眠れていなければ翌⽇に疲れを残し、体調も気分も優れないだろうということで、まずは多少の安定剤を処⽅しました。
初期の段階だったので、症状はいったん改善しました。が、その後、彼の体調不良の訴えはエスカレートしていくことになります。
「職場復帰のハードル」を越えるのがなかなかうまくいかないのです。どうも薬だけの⼒では無理のようでしたが、すべては薬や「病気」のせいにしてしまうのでした。
でもここではっきり⾔おうと思います。
⼈間にとって、「病気」はその⼈の⼀部にしかすぎません。健康な⾯の⽅がはるかに多いはずです。ですから誰でも⾃分で治す⼒を持っているのです。医療はそれを⼿助けするにすぎません。
そして実は、「病気」と「性格」が重なり合って、症状を不安定にさせたりエスカレートさせたりするという特徴が⼼の病にはあります。
例えば、マイナス思考の⼈は、起きたことの悪い点ばかりとらえてしまうので、ますます悪くなってしまうといったようなことです。
⼼の病気は、気質や性格、そして環境ときっかけがすべてそろったときに発症します。
それは何も⼼の病に限ったことではないかもしれませんね。⾝体の病気も同じでしょう。⾷べ物や不摂⽣と、体質や遺伝的要素などすべてがそろって初めて発症するのですね。
ここがポイント!
ですからどんな病気であってもまず、⾃分を振り返ってみましょう。
薬に頼り過ぎたり専⾨家に任せ過ぎたりするのはよくないと思います。
⽣活習慣を変える。
⾃分の頭で考えたり友⼈に相談したりする。
親⼦や夫婦で向き合う。
いろんなことを総動員し、本来の⾃分が持つ⼒を信じて病と向き合いましょう。
逆説的ですが、そんな⼈にとってこそ、医療者側もまた最⼤限にその専⾨性を発揮できるのだということを知っておいてほしいと思います。
連載コラム(16)働くことが治療になる
私の患者さんには、働いていない⼈も多いのです。
働くことは病気だとか健康だとかと関係なく⼤切だと思うので、無理強いはしないのですが、チャンスがあれば勧めることにしています。
必要は発明の⺟という諺があります。必要に迫られての⼯夫こそが、発明に発展するという意味です。同じことが仕事にもいえると思います。
お⾦なんか⼆の次、とにかく働きたくて働きたくて、という⼈などそんなにいません。みんな⽣活のため、生活のために働いている⼈がほとんどです。ですから患者さんがお⾦に困っている時やお⾦を欲しがっている時に働きかけるのがコツだでしょうか。その時こそ提案のタイミング。
「あなたの欲しい物を買うお⾦はあるの︖」
「お⾦がないのにどうやって暮らしていくつもり︖」。
そんな問いかけをしているうちに患者さん⾃ら「働くしかないか」と思うようになることが多いです。そうなったらしめたもの。
⽣活保護で暮らしながら通院している35歳の男性患者さんは不規則な暮らしを⻑年続けていました。勤めはするのですが、どこも⻑続きしないのです。その彼に彼⼥ができた。
彼⼥は健康で普通に働いている方ですが、収⼊はかなり少ないようでした。
所帯を持てる状況ではないが結婚がしたい、⼦どもも欲しいといいます。
私は病気の⼈同⼠であっても同棲や結婚に好意的です。しかし「⼦どもを産む」ことに対しては、慎重にならざるを得ません。
「結婚は賛成だけど、⼦どもを育てることはとても責任の重い、またお⾦もかかることだよ」とアドバイスします。
そこで⼀⽇も早く⼦どもをという彼⼥も交えて話し合いました。
「同棲でも結婚でもいいと思う。でも⼦どもをつくることは2⼈の⽣活が安定してからだよ」と意⾒を⾔いました。
彼らは今現在の同棲に⽔を差されたように感じてとても落ち込んだように見えました。
⼼配していましたが、1カ⽉してやってきた2⼈。「反対された気がして落ち込みました。でも2⼈でよく話し合いました。そして今は同じ会社で製造作業員として働いています。絶対結婚したいと思って」。
あんなに調⼦の悪かった彼が⼀体どうしたというのだろう。
働くようになったのです。
そうしたら⽣活も規則的になり、気分の落ち込みも少なくなってきました。その後、彼の病状は明らかに良くなっているように思われます。
私の出版した本に「誰にとっても仕事は通院治療、そして作業療法。治療してもらってお⾦までいただいて感謝、感謝」という⾔葉があります。
ただ、働くことは誰にとっても⼤変なこと。
だからこそ、必要に迫られることが必須なのだと思います。
あれが欲しい。これも欲しい。
結婚したいし⼦どもも欲しい。
そうやって欲望や夢を持てる⼈間に育てておけば⼈は⾃然に働くようになると思います。
働くために⽣きているのではないのです。
夢を叶えるためにみんな頑張って働いているのですから。
わたし
わたし。
わたし、このごろ、こころと関係のないことに携わりたいという願望がとても強い。
でも、40数年もやってきた仕事以外にできるものはない。
ピアノもオカリナも「消去」してしまった。
もちろん、嫌いではなかったが、忙しい暮らしの中で何かを捨てざるを得なかったときに、消去させられたのだ。
今日は夕方から仕事。
珍しく家にいるわたしに向かって、夫が「ニッコウキスゲを見に行こうよ。行く、行くって一回も行ってない」と言う。
迷ったがことわった。
夫には悪いが、ニッコウキスゲは「消去」された。
原稿を書くことと、コラムをブログに載せるだけで精一杯のわたし。
でも、何か「こころ」以外のことをやりたがっているわたしがいる。
あ、そろそろ出なくては!
このレストラン、夫婦、友人、家族連れでいっぱいになってきた。お茶いっぱいで2時間も陣取るなんて。
連載コラム(15)子育ての先を見つめて
⼦育ての⽬的は「育てる」ことですが、「親からの⾃⽴」までだと認識している親は少ないのではないでしょうか。
⼦どもなんて普通に育てていれば、普通に家を出て⾃分で⽣活していってくれると漫然と思っているのが⼤抵ではないでしょうか。
ところがそうはいかない、という例を嫌というほど⾒てきました。
そんな中で、障がいを持った⼦の親から学んだことをご紹介したいと思います。
⼭梨に移住したころ、30歳の精神遅滞の⻘年が受診しました。
彼はグループホームで暮らしていました。スタッフの話では、東京で⽣まれ育ったが、幼いころに障がいのあることを知った両親が、親だけで抱え込むのではなく、いずれ親と離れて暮らしていけるようにと育てた結果だということでした。(私は親の先見性に感心しました)
また別の事例もあります。最近、発達障がいの私の男性患者さんが就職先が決まり、いよいよ1⼈暮らしをすることになりました。
この⽅は幼いころに障がいが分かってから治療を続けている方です。
⼀⼈っ⼦なので愛情独り占めでとても可愛がられて育ちました。が、両親は⼀⽅で「この⼦の⼒で⽣活していけること」を⽬標に育ててきたと言います。
⼈付き合いが下⼿で、能⼒に偏りがあるなど多々⼼配な点があったので、親元から離れることに困難があることは想像できました。そして⼤学に⾏く時、彼の第1志望は東京の⼤学でした。
⼼配する⺟親に「若いほど適応⼒はありますから、この時点で⼿放すことも有りです」と話したが、東京ではなく、地元の⼤学にだけ合格しました。
「学業も⼤事ですが、体を使って働く⼒のほうがもっと⼤事です」という勧めに従って、スーパーの⿂屋さんでアルバイトをしました。
さて、卒業する段になって、障がいを隠して就職するか障がい者であることを認めてもらった上で就職するかだいぶ迷った後、障がい者として働く道を選びました。そしてようやく温かく迎えてくれる会社が⾒つかったのです。
その会社は家からかなり近く、家から通勤できないこともない距離です。しかし両親はあえて、1⼈暮らしさせる道を選んだのです。
この年齢の⼦どもは素直なので、親の⽅針はとても⼤事です。どちらにもころぶ時期だと言えるでしょうかこの時期を外すと、⼦は親の⾔うことを聞かないし、また親元での暮らしがいかに楽ちんであるかを知ってしまうと、家から離れられなくなります。
会社が家から通える範囲であっても家から離しなさい、と私はいろんな⼈に助⾔します。アパート代がもったいないなどは論外です。
子供の自立とお金を図りにかけるなんてトンでもない。⼈間はもっともったいないことをいっぱいしているではないかと思うのです。
⻑い将来を⾒通せば、わが⼦が⾃分で⾃分の⾝の回りを整え、⽣計を⽴て(あるいは社会の援助を受け)暮らしていけるように⼿助けすることが、どんな親にとっても⼀番の務めではないでしょうか。
これら障がいを持った親御さんたちの真摯な⼦育てから、私が学んだことはとても⼤きいと感じています。
(:注*アパート暮らしも、もう4年目に入ります。年に二回ほど、今でも診察に来てくれます。お母さんとはスーパーや銭湯で2年に一回くらい出会います。そのたびに彼の成長ぶりを知り、目を細める私なのです。高校3年まで、母親と銭湯に来ていて驚きました。でも親がうまく道筋をつけさえすれば、そんなことは小さなことなのですね)